ボランティアさんのリレーコラム—ここに愛あり、幸もあり/ 重金優子

私の玉蘭荘歴は、そのまま台湾在住歴(二十二年)、気が付けばかなりの古参メンバーです。初めて玉蘭荘を訪れたのは一九九八年の七月、同じ学校の友人がどこからか話を聞きつけて、一緒に行ってみないかと誘われたのがきっかけでした。当時の私はまだ学生で、独身で、台湾に二度目の留学に来て二か月目でした。

当時日本では、祖父が脳梗塞でほぼ寝たきりの生活をしていて、それまでは時折お見舞いに行っていたのですが、台湾に来たらなかなか会いに行けなくなるので、玉蘭荘の話を聞いた時には、祖父の代わりにこっちのお爺さんお婆さんのお手伝いをしようと思いました。

日本でもこういうボランティアの経験はあまりありませんでしたので、初めは慣れないことばかりでした。まだ嫁の貰い手もないくらいだから、無理だろうと思われたのでしょうね、スープや果物の係は回ってきませんでした(笑)。

その代わり、当時は今の様に何でもパソコンで処理できる時代ではありませんでしたので、イベントがあれば手描きのポスターを作ったり、季節ごとに部屋の飾りを作ったり、それから翻訳なども任されるようになりました。

その頃の会員さんは手芸の得意な方が多く、ビーズや紙細工、リボン細工など色々なものを教わりました。活動の時間に作ったそれらの作品は、秋になると玉蘭荘バザーの目玉商品となりました。今ではボランティアの手芸部門・蘭々工房がそれを引き継いでいます。

さて、そうしていうるうちに、こんな私でも嫁にしてくれる辛抱強い男性が現れまして、二〇〇四年四月に結婚しました。翌五月には台北で披露宴を開いたのですが、玉蘭荘の皆さんにお話ししたところ、職員さんとたくさんの会員さんが来てくださいました。あまりにも高齢者が多くて、わけを知らない来賓の方たちはびっくり。「それであなたのお婆さんはどの方?」「いえ、うちの祖母はおりません。」という会話があちこちで交わされ、また、玉蘭荘の皆さんには歌のプレゼントもいただいて、本当に楽しい思い出になりました。

二〇〇五年六月に長男を、二〇〇八年五月に次男を授かりまして、しばらくの間玉蘭荘の活動日のお手伝いはお休みし、家で玉蘭荘だよりの作業をしたり、バザーの日に子供を主人に預けて売り子をしたりと、不定期のボランティアでした。

その後次男が幼稚園に入ってからは昼間の時間ができたので、また活動日に皆さんとお会いできるようになりました。今は塗り絵の活動や、合唱団でも皆さんと一緒に楽しい時間を過ごしています。

今まで玉蘭荘を通じて沢山の人と出会い、沢山のことを学びました。悲しいお別れもありましたが、それ以上の喜びをいただいていると感じます。現在は新型コロナウイルスの影響で、玉蘭荘の活動も初めての長いお休みになっていますが、このたよりを皆さんがお読みになる頃までには、活動が再開になってまたお会いできていればいいなと思っています。

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