ボランティアさんのリレーコラム-出会いに感謝/N・M

台湾に来て一年半が過ぎました。ここに来ることになったのは、主人の仕事の関係です。主人は以前、日本国内の転勤族であったことから、私も主人も関西の出身ではありましたが、関東、新潟、広島などで暮らしたこともありました。そして今回は台湾に来ることになりました。まさかこの年齢で、海外で暮らすことになるとは夢にも思っていませんでした。主人自身も海外で勤務することには迷いもありましたし、私も日本に残る選択肢が無かった訳ではありませんでした。

台湾は日本人にとってはとても住みやすい国、食べ物は美味しいし、日本に興味を持っている方も多いと聞いておりました。日本では以前から台湾ブームで、旅行先としても人気があり、毎年のように台湾を訪問している人も少なくありません。私も何か得るものがあるのではないかと、思い切ってここ台湾で暮らすことにしました。

最初に来た時は、漢字だらけの活気のある街、新しいものと古いものとが混在している印象でした。中華独特のデザインの物がとても新鮮でした。しかしながら日本の店や商品なども多く、余り日本と変わらないとも感じました。

こちらに住み始めてから半年は、知り合い、友達も出来ず、主人は仕事が忙しく一緒にどこかに行く機会も余り無く、私は一人で近くを観光したり、家で過ごしたりしていました。言葉の壁もあり、ストレスの溜まる毎日でした。こうしていても仕方がないと、何かお稽古を探そうと日本人会の事務所に行ったところ、色々紹介して頂いたところの一つが玉蘭荘でした。ご老人向けの仕事をしていたこともあり、何か私にも出来ることもあるかもしれないと、見学に行かせてもらい、それ以来、少しですが、顔を出させて頂いています。

私事ですが、昨年父が亡くなり、先月でちょうど一年となりました。もう、主人の両親、私の両親ともに亡くなりました。結婚後数年を除いては主人の転勤先に在住していたため、私は両親の介護をすることが無く、そばで看取ることが出来たのも父だけでした。振り返ると、子供の世話、自分の仕事と忙しい毎日を送っていたため、まめに帰省することも出来ずでした。もっと家族と一緒の時間を持った方が良かったのかと思うこともありました。

前述の通り、私は以前にご老人のいらっしゃる施設で働いていました。そこには、何らかの事情により家でお一人では暮らせなくなった方、また、家族がいても一緒に生活するのが難しくなった方々が入居しておられました。色々な方々が身体等不自由になられ、以前と同じ生活が出来なくなっていました。毎日その方々と一緒に過ごし、出来るだけそこの皆様にご不自由でも、ご自身らしく生きていくサポートをする仕事をしていました。なかなか人材や設備が十分行き届いてはいない中、頑張っていました。毎日、そこにおられる方々の元気な笑顔を見られることを願い、少しでも毎日を楽しく過ごして頂くことを考えていました。時にはご病気をされたり、怪我をされたりで心配し、時には悲しいお別れもありました。私も色んな方々に励まされ、支えられました。沢山お話をし、沢山一緒に笑い、とても貴重な経験をさせてもらいました。

素敵な玉蘭荘の皆様とお会いしたことによって、両親を思い出すこともあり、以前働いていた施設で毎日お会いしていた方々を思い出すこともあります。
今年に入ってから、コロナウイルス流行の為、しばらく玉蘭荘もお休みでした。台湾は行政や皆様の協力により、他の国に比べて感染の封じ込めに成功しているようです。お陰様で私達も普通の生活をさせて頂き、ありがたいことだと思います。

今、台湾で生活する機会を頂いたことで、私はこの国の皆様から学ぶことが沢山あると感じています。国を跨いで何かの縁で会うことになった皆様の健康や、日々の生活の安堵を願うことが出来ることが、とても嬉しいことだと感じます。この機会を与えられたことに感謝し、ここにいることの出来る時間を大切に過ごしていこうと思っております。いずれ日本に帰ることとなりますが、それまでの短い期間、台湾での生活を楽しみ、皆様と笑顔でお会い出来ることを楽しみにさせて頂きたいと思っております。 
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