人生最後の一ページ/理事長 都丸正夫

私の九十三歳の母は、今年の七月十四日夜、眠りについたまま、しずかに息を引き取りました。母の多くの友達は、同じように逝きたいものだとおっしゃってました。団塊の世代の私も、いよいよ人生最後の一ページにどんなことを記していくことができるかと考え始めています。

「成語林」ということわざ辞典で、老人という箇所を検索してみると、八十五ものことわざが載っていました。ちなみに、肯定的、否定的と中立的の三つで分類をしてみると、予想に反して肯定的なものが否定的なものより少し多かったという結果になりました。

愚か者にとって、老人は「冬」である。

賢者にとって、老人は「黄金期」である。

これは、ユダヤの古い知恵ですが、古代のラビは、人は誰でも歳をとるが、一体若いうちに何をしたらいいのかの問いにこう答えています。「自分がやがて歳をとり、老年に入ることを知り、老年に向かって心理的な準備をすることである」と。重要なのは、「何をするか(to do)」よりも、「どうあるか(to be)」です。人生には、「何をするか(to do)」よりも、「どうあるか(to be)」が問われるのが、最後の一ページですね。

聖書にも、いくつか老人について、また歳をとることについての教えが記載されています。歳をとるということは、やはり危機感を煽るもので、詩篇の作者もその不安をこう言っています。

わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。(詩篇七十一:九)

それに対して、神様は老人に約束をしています。それは、どんなに歳をとっても、神様は決して見捨てないと言っています。

わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。(イザヤ四十六:四)

しかも、年寄りの象徴である白髪は、老人の美しさとも語っています。

若い人の栄えはその力、老人の美しさはその白髪である。(箴言二十:二十九)

老人の美しさは、どのように得られるかの質問には、ソロモンはこう答えます。

白髪は栄えの冠である、正しく生きることによってそれが得られる。(箴言十六:三十一)

「何をするか」ではなく、「正しく生きること
(righteous life)」、すなわち、「どうあるか」が問われています。人生最後の一ページまで、どう生きて行くかということですね。老人になっても、なお活き活きと生きている人はたくさんいます。

彼らは年老いて(白髪になっても)なお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、(詩篇九十二:十四)

それだけではありません。老人にもちゃんと使命が与えられています。それは、神様を信じることによって自分がどう生きてきたかを次世代にのべ伝えることです。

 神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。神よ、わたしが年老いて、白髪となるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。(詩篇七十一:十七-十八)

ですから、私たちは、神様から与えられている使命を全うするまで、最後の一ページは完成しないのです。

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