「羅さんの拾い読み」に寄せて/講師 渡部洋子

私は玉蘭荘で「羅さんの拾い読み」の講座を受け持っています。この講座は元々、会員の羅梅妹さんが立ち上げたものです。羅さんは客家人の性質を地でいくような、真面目で勤勉な方です。読書が大好きで、いつも玉蘭荘の書棚の前で本を読んでいる姿を見かけました。羅さんは、自分が感動し教えられた本の内容を、一字一字丁寧に大学ノートに書き写しては、何度も読んで自分で楽しんでいたのです。その内容のほとんどは日本のお話ですが、アメリカに住むお姉さんから送られて来るアメリカのお話もあったり、台湾の本から取られたお話もあり、実に多彩でした。


ある時、同じ客家出身の総幹事さんから、「羅さん、自分ばかり感動していないで、みんなに分けて下さいよ」との声掛けを頂いて、「拾い読み」の講座が始まったそうです。羅さんは、二ヶ月に一回担当するこの拾い読みの講師を人生の生き甲斐として、大切に忠実に努められました。多くの方が羅さんの語られるお話に感動し、羅さんが一心に心を込めて書いたそのお話を、コピーしてまとめ、それを印刷屋に持って行って、本になさった方もおられたそうです。

今から五年前、私は総幹事のご指名を受け、三年間働かせて頂きました。二年目になったある日、羅さんからお電話を頂きました。「夜半トイレに立って、どうした弾みか転んでしまい、腰を強く打ってしまいました。もう玉蘭荘には通えません。拾い読みは終わりにします」とのことで、驚きました。羅さんは実に十年以上講師を続け、その時は九十歳を目前にしていました。羅さんのお住まいは台北市から遠く、玉蘭荘までは電車を乗り継いでお出でになっていました。ご家族の方々も心配され、一人で外出しないようにと注意されていました。でも羅さんは、拾い読みは自分の使命と生きる力、と信じていましたので、気を付けて、ゆっくり歩いて、玉蘭荘に通い続けていたのでした。ところが今、腰を打って歩けなくなりました。

「羅さん今まで本当にご苦労様でした。長い間ありがとうございました。」と電話を切りました。拾い読みは皆様に愛された講座でしたが、年々、羅さんの語られる上品な日本語を、心から理解する、日本時代を生きた方々とのお別れが続いていたのです。拾い読み講座は、日本時代の大切な宝物として、その任務を終えたのだろうと、その時私は思いました。

ところが羅さんの心が静かになりません。突然の体の変化についていけず、心は落ち込みます。苦しくなると玉蘭荘にお電話を掛けて来られます。そんなお姿を拝見し、ここで羅さんをお慰めするには、拾い読みを継続し、羅さんが「いつかまた玉蘭荘に行ける」という希望が必要だと感じました。拾い読みを継続してみようか、とだんだん思うようになりました。

十年前の話を覚えておられる方は少ないし、会員のメンバーも変わっています。羅さんの以前の原稿からお話を拾い出し、分かりにくい昔の表現を改めて、以前の羅さんの手書きよりも、文字を大きくタイプしてみました。しかし、決められた時間の五十分には、一つのお話では時間が持ちません。私は総幹事の仕事の合間の作業なので、時間内に収める適当な読み物を探す時間が取れません。それで思い切って、私自身が受けた感想を、神の視点から見たらどうなるかと、聖書の話しを拾い出して構成してみたのです。講座のタイトルを「拾い読み」から「羅さんの拾い読み」と改めて、講座を続けてみることにしました。羅さんは拾い読みが継続されることを、心から喜んで下さいました。そして私にこう質問するのです。「また玉蘭荘に行けるようになったら、私に返してくれるの?」と。「はい、喜んで!」と私はいつもそう答えています。

私が引き継いでから四年が経ちました。私は今、玉蘭荘で「羅さんの拾い読み」講座が終わると、その翌週に羅さん宅を訪問して、二人で原稿を読み合います。「羅さん、どこでこんな素敵なお話を探したの?」と尋ねると、「このお話から、聖書のこんな言葉を思い浮かべたなんて、すごいわ」、などと二人で褒め合って、楽しい時間を過ごしています。

最近羅さんから嬉しいお話を伺いました。オーストラリア在住の二人の娘さんは、今コロナ禍で台湾に帰国できません。毎日お電話をくださるそうです。羅さんは娘たちに、拾い読みを客家語に翻訳して電話で聞かせたそうです。娘さん達は非常に感動して、それを友人や教え子達に聞かせたところ、たくさんの人から「もっと聞かせてほしい」と強い要望があったというのです。羅さんの「拾い読み」は今も海を越えて続いています。そしていつの間にか、「羅さんの拾い読み」は、私の生きる力になっていることに気付かされています。

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 483