ボランティアさんのリレーコラム—私と台湾/齊藤加穂

私が初めて訪台したのは、一九八七年の八月で、小学校の夏休みの時でした。当時の台湾は今のように日本人にとって身近な国ではなく、どこにあるのか、そして台湾という名称自体知らない人も多く、そして渡航の目的が短期の観光であってもビザが必要でした。私が台湾を知ったきっかけが、当時日本の子供たちの間で流行していた映画『幽幻道士』だったのですが、ちょうどその頃父が仕事の関係で頻繁に台湾に行っていたこともあり、仕事のついでに一緒に連れて行ってもらうことになったのです。父としては、世界には日本とは異なる国があり、子供の時から視野を広げて欲しいという思いで台湾に連れて行ったようでしたが、初めて見る日本とは全く違う景色と文化に衝撃を受け、その後小学六年生の時にアメリカへホームステイにも行かせてもらったのにもかかわらず、私が最終的に留学先に選んだのは台湾でした。

元々人と話すのが苦手なため、積極的に中国語を話さなかったせいか、未だに下手ではありますが、日本に帰国後ありがたいことに、東京で十数年中国語も少しだけ使う貿易関係の仕事をさせていただきました。日本にいる間に、二年に一度は訪台し、留学当時の友人に会っていたのですが、友人の一人が、いつ台湾に戻ってくるのかと聞いてきたのです。その時にやっぱり私は台湾に戻りたいと思いました。その後良いご縁があり、台湾人の夫と結婚し、約三年前に再び台湾で暮らすことになったのです。

台湾での生活は初めてではないとはいえ、十数年ぶりのため、最初は戸惑いもたくさんありました。台北はこの二十年の間にだいぶ変わっていました。バスカードがなくなり、台北の多くのバス停は中央分離帯に移動していました。淡水新店線がなくなり、慣れるまでよく乗り間違えました。中山のデパートは全て三越に変わっていました。そして、飲食店などの日系企業がたくさん進出していました。日本人にとって、二十年前よりは確実に暮らしやすくなっていると思います。

それでも、私の記憶の中の台湾の雰囲気は残っており、好きな国には変わりありません。昨今の日本と台湾の助け合いのニュースを見ると本当に嬉しく思いますし、ボランティアをさせていただいている玉蘭荘の会員さんたちが、ご高齢にもかかわらず日本語を忘れずに流ちょうに話している姿を見ると、私が生まれるずっと昔から日本と台湾の絆はあったのだなと感じます。今後も末永く日本と台湾の良い関係が続くことを願っています。
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