葉陳蕙蘭姉妹を偲んで /連碧玉

私たちの敬愛する葉陳蕙蘭姉妹は、主の愛する娘であり、玉蘭荘創立の頃から参加されていた古い会員でもありました。とても誠実で謙虚で、そして優しく明るい私たちの先輩でした。息子さんの証しに感銘を受け、一九八四年十月にアメリカ・カリフォルニア州サンフェルナンドバレーの福音教会で洗礼を受けられ、救いと天国への希望を得られました。蕙蘭さんは、天母教会松年詩班(讃美歌合唱団)のメンバーでもあり、二〇一七年五月に九十六歳という高齢で礼拝中に讃美歌を歌っておられた、その元気なご様子を見たときは、まさに神様が下さったこの上ない宝物だと感じました。

手先の器用な蕙蘭さんは、玉蘭荘で長年手工芸の講師をされていたばかりでなく、その作品をバザーの商品として提供してくださいました。また一九九九年に台湾南投県で起きた九二一大地震の後、鄭連坤牧師夫人、陳研さん達と共に玉蘭荘を代表して被災地を訪れ、被災者の皆さんに手工芸を教える奉仕をされました。玉蘭荘ではまた合唱団の団員として音楽会や特別行事の時には合唱を披露し、本当に神様に祝福された百年を過ごされた、台湾阿嬤(台湾のおばあさん)でした。

蕙蘭さんは嘉義市の出身で、お祖父さんは赤十字社の代表を務める傍ら乾物屋も営んでおり、周りから羨まれる裕福な家庭に育ちました。日本人の通う幼稚園や小学校に通いましたが、女学校に上がった頃に家の経済状況が悪化し、卒業後は家の手伝いをしました。その後知人の紹介で日本の中央大学法学部の学生だった葉寛敏さんと結婚して、日本で生活を送りましたが、その頃は戦中戦後の物資の非常に乏しい時期で、大変な苦労をして子供を育てたそうです。その後船で七日もかけてようやく台湾に帰りつき、六人の子供を立派に育て上げました。

蕙蘭さんは二〇一六年、九五歳の時にご自分で生前葬を行い、親類や友人にあてたお別れの手紙を書かれていました。そこにはご自身の人生は悲喜こもごも、波乱万丈な旅路だったけれど、九十五歳となってそのすべてが大切な思い出となり、神様のみ恵みに満たされたものであったこと、間もなく天国に行き、この世界を離れ、友人たちにもお別れしなければならないだろうこと、そしてその時には家族、教会の皆さん、友人、皆が彼女が神のみもと、天国に帰ることを喜んでお見送りしてくれたらこんなに嬉しいことはない、とありました。


お元気だった蕙蘭さんも去年の十月頃に体調を崩され、入退院を繰り返されるようになりました。そして今年の六月頃から眠っている時間が長くなり、七月二十八日、家族が歌う彼女の大好きな讃美歌を聞きながら、天に帰られました。八月十一日に告別式が行われ、天使と共に天の家に帰られた蕙蘭さんは、永遠の喜びと平安を得られたことでしょう。

神は、神を愛する人たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている。
ローマ人への手紙第八章二十八節

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