皆がひとつに(合眾為一(E Pluribus Unum))/黃春生理事長

新型コロナウイルスが世界中に蔓延してまもなく二年がたとうとしています。幸い台湾では疫情指揮中心の的確な感染防止対策と、国民が団結してマスク着用やステイホームに協力した結果、一時は三級まで引き上げられた警戒レベルも現在は二級に引き下げられています。また日本、アメリカ、リトアニア、チェコ、ポーランドといった価値観の近い盟友国家が台湾にワクチンの無償提供をしてくれ、私達も助け合うことの大切さを深く感じました。困難に直面した時、「合眾為一(皆がひとつに)」の団結こそ、私たちが共に生きていくうえで最も重要なことだと言えるでしょう。

私が小学生の時、特別なプレゼントをもらった思い出があります。屏東に住む祖父があるとき会議に出席するために台北にやって来て、その時私にアメリカの一ドル銀貨をくれたのです。祖父はコインを指ではじいて音を聞かせてくれました。その時私はコインに記されていた文字の意味を祖父に尋ねたことを覚えています。大きくなってから分かったのですが、それはこのような文字でした。「In God We Trust(我々は神を信じる)」、「E Pluribus Unum(ラテン語、皆がひとつに)」。

皆さんももし機会があれば、一ドルコインを見てみてください。アメリカ国章に一羽の白頭鷲が描かれており、その嘴に咥えたリボンにはラテン語で「E Pluribus Unum」と書かれています。これはアメリカのモットーで、その意味を簡単に説明すると、たくさんの異なるものを合わせてひとつとする(Out of many, One)、つまりは皆がひとつにまとまるということです。

「E Pluribus Unum」の精神とは
二百年前、アメリカ人は十三のイギリス植民地を十三の州に改め、それらを合わせてひとつの連邦政府(The United States)と定めました。その後他の三十七の州も徐々にこの連邦政府に加わったのですが、それぞれの州は異なる国の移民からなり、その背景も文化も大いに異なるものの、それらがまとまって一つの国となりました。国家の成立以降、民族間の意見の食い違いなどで争いが絶えませんでしたが、一八六一~一八六五年の南北戦争以降は分裂は起こっていません。これは「一体」となった国家があらゆる州や地域の利益を超えるからです。「E Pluribus Unum」の精神とはつまり、異なるものをも包括する力なのです。

かつて使徒パウロは、教会を作ることによって自分と全く異なる人々をひとつにまとめようとしました。それらの人々は年齢も、学歴も、文化も皆バラバラです。エフェソの信徒への手紙を見てみましょう。教会という同じ体に属する者について、パウロは神の啓示を次のように述べています。

すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。(エフェソの信徒への手紙 第三章第六節)

またパウロはエフェソの信徒たちに対し、一人ひとりのクリスチャンのあるべき態度について次のように述べています。

そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなた方に勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(エフェソの信徒への手紙 第四章一~三節)

使徒パウロはひとつになることは霊によって保たれる、と述べています。人の力だけでは心をひとつにすることは難しいからです。人は弱く、人の心は自己中心的なので、たとえ信仰の仲間の間であっても、やはりそれは難しいのです。パウロは人々は聖霊によってひとつとなるのであり、私たちにはこの聖霊との心のつながりを保つことが求められている、と述べているのです。

二十一世紀の初めに私たちは新型コロナウイルスの世界的な脅威に晒されました。これは私たち玉蘭荘のみならず、すべての人々にとって新たな挑戦でした。私達も三か月間の活動停止を余儀なくされ、今後の予測も非常に難しい状態です。しかしそんな中にあって変わることがないのは、「団結して立ち、離れては倒れる(United we stand, divided we fall.アメリカ、ケンタッキー州のモットー)」です。私達玉蘭荘のファミリーは皆がひとつとなり(E Pluribus Unum)、この困難な時期を乗り越えていきましょう。願わくは、神様が私達を導いてくださいますように。

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