盛大な東京オリンピックの裏の、忍耐強い人々/黃家琦宣教士

「ピクトグラムショー」から見る東京オリンピック---コロナ禍での機転と強靭性

美しい花火、聖火リレー、そしてアイディア溢れる「ピクトグラムショー」、東京オリンピックの素晴らしい開幕式は、コロナに沈む台湾にも暫しの盛り上がりを与えてくれました。感染拡大の可能性というプレッシャーの中で、日本は強大な意思と実力、機転、そして堅忍不抜の精神を私達に見せてくれました。この盛大なイベントが終わるとき、私達は日本と日本民族に対して、新たにどのような印象を抱くことになるのでしょう。

台湾と日本の世代を超えた友情...愛と痛みの対話
台湾と日本は地理的にも歴史的にも、そして心理的にも深い関わりがあります。「日本」は台湾人が最も訪れたい国のひとつで、実際夏休み、冬休みには毎年多くの人が訪れています。また私たちは無印良品やユニクロなど日本製の商品も大好きです。もちろん中には日本に対して複雑な感情を抱いている人もいます。植民地時代を経験している高齢者は、幼少時の思い出を忘れることはないでしょう。

海の向こうの人々の神観...私の言う神は、あなたの思う神ではない?
私達と日本は隣同士、切っても切れない関係にあります。もし神様が台湾を愛して下さっているなら、海の向こうの日本だって愛しておられるでしょう、あなたが神様に愛されているなら、日本人だって決して例外ではないはずです。では日本人は神様をどのように捉えているのでしょうか。大多数の日本人はいわゆる無神論者です。ところが面白いことに、日本の年中行事には多くの宗教的な行為が含まれています。教会で結婚式をあげたり、神社に初詣に行ったり...こうしたことから、日本人は特定の信仰を持たないものの、その心には宗教的な要素が多分にあることがわかります。

福音の大きな壁...「真理」と「罪」
家琦宣教師は、「日本人の「神」の概念は『物質の中に宿る神』で、信仰の対象となるのは自然や動物、彫像などであり、これらを通じて日本人は『信仰』を理解するそうです。私達が日本人に福音を述べ伝えるとき、まず彼らが思う『神』とは何かを理解することが大切です。」と言っています。ある日本人の宣教師は、日本人に神の存在を解くのは簡単だが、福音を述べ伝えるのは非常に難しい、一番難しいのは真理、人の罪と神の贖罪について説明することだと言います。そして彼らに唯一の神を理解してもらうためには、まず「罪」の概念を明らかにしなければならないというのです。日本人は法を順守し、道徳水準も高い民族です。聖書における罪の概念をしっかりと説明することによって、神の律法に完全に従うことのできる人間はおらず、イエス様の贖罪によるみ恵みが必要であることを、相手に理解してもらうことができるのです。

月亮代表我的心...日本人の思う愛と愛の言葉
日本人は自分の気持ちをあまりはっきり口にする習慣がありませんが、ではどうやって愛の気持ちを相手に伝えるのでしょう。二人で歩く夜道、月を見上げて囁く「月がきれいですね」という秘密の告白。月が二人の心を結びつけるのですね。

前述の家琦宣教師のお話に沿って説明すると、もし私達が日本人に対して「神様はあなたを愛しておられます」といっても、彼らはそれをすぐに理解することができません。それは聴覚で愛を理解し受け止める習慣がないからです。彼らにとって「愛」は行動で表現するものなので、生活の中で福音を活かし、行動で相手に愛を伝える必要があるのです。神様の無条件の愛と犠牲によって相手の思いに応えることで、福音を述べ伝えるきっかけを作り出せるでしょう。

出る杭は打たれる...日本人の集団意識と福音の苦境
では日本人は自分自身をどのように思い、社会の中でどのような役割にあると認識しているのでしょうか。

家琦宣教師の話の中に、「ある教会の児童英語クラスで、英語の発音がとても上手な男の子がいたのですが、彼が五年生になったとき、学校の英語の先生の真似をして日本語訛りの発音をするようになったのです。訳を聞くと、みんなと同じようにしないと(申し訳ない)、というのです。」というエピソードがありました。日本社会の中にある集団意識、これが日本の全人口の一%に満たないクリスチャンが直面する苦境でもあります。「集団」に従うことをよしとする日本人に、いかにして福音を述べ愛を伝えたらいいのでしょう。

「みんな一緒」だから大丈夫...信仰の告白の後に
教会の集会では、最後に牧師が新しい参加者のために信仰の告白を行います。家琦宣教師はあるとき、毎週こうした奉仕をしてもらうことに申し訳なさを感じている人がいることに気づきました。しかし親交を深められるうえ、「皆でお祈りする」ことなので気にする必要はないと言います。また彼女はハレルヤカフェが彼らを信仰の告白に導くいいきっかけになると考えています。ただしその後に続く訪問や奉仕を通じてこそ、本当に神様に出会うことができるのです。

私たちは日本人に福音を述べ伝える方法を常に模索していかなければなりません。彼らが福音を受け入れやすい方法を探すためには、やはり日本の日常生活や社会文化を理解しなければなりません。

終わりに
かつて五十年の長きにわたって日本文化と触れ合ってきた台湾は、やはり今でも日本に似た感覚を持っているようです。日本人の「月がきれいですね」と台湾人の「月老(月下老人:婚姻を司る神)、日本人の「申し訳ない」と台湾人の「不要麻煩人家(他人に迷惑をかけない)」...私達が互いの文化を理解し、日本の良き隣人に慣れれば、やがて心もひとつとなって、一緒に天からのみ恵みと神様の無条件の愛を受け取ることができるのではないでしょうか。

(本文は二〇二一年八月十日に行われたエリコ祈祷会での黃家琦宣教師のメッセージをもとに陳之嵐さんが執筆したものです)

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