和解の使者/理事長黃春生牧師

神はキリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
(コリントの信徒への手紙二 第五章十九節)

 人々が最も求めるものといえば、よく聞くのは地位や名誉、お金といったところでしょう。しかし私は教会で多くの兄弟姉妹の人生の最後に寄り添ってきましたが、臨終の床にあって「通帳に金がいくら入っているか見せてくれ」とか「最後にもう一度私の賞状やメダルを見せてくれ」などと言った人は一人もいません。そんなものは思い出しません。彼らが臨終の際にもう一度見たいと望んだのは愛する人、あるいはかつて愛した人の姿です。人が最後に一番大切に思うのは人と人との「関係」なのです。正しく、よい関係が私たちの生命に祝福をもたらし、感謝の心をはぐくむのです。

関係の修復
人間関係はしばしば緊張、疎遠、亀裂を伴います。聖書には罪とは人と神、人と人との関係を破壊することで、この世で一番恐ろしいことだと書いてあります。
罪は神様が作られた美しい創造物、すなわち創造主と人との関係を破壊し、死や詐欺、窃盗、恨みなどといった苦痛をもたらします。神様は聖潔で、罪やそれがもたらすあらゆる恐ろしい事物を憎んでいます。天国に罪は存在しないため、私たちは自分の罪を洗い清めなければ天国に入ることができません。

亀裂の生じた人間関係を修復するにはまず悔い改め、イエス様を信じ頼ることから始めなければなりません。イエス・キリストはまさに人と神との関係を修復し、人と神、人と人、そして自分の世界に和解をもたらすためにこの世に降りてこられたのです。ですから悔い改め、神様に救いを求めれば、神様の言葉が私たちの生命を作り、引き裂かれた人間関係もやがて聖霊によって修復されるのです。

和解の使者
使徒パウロは「神はキリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。(コリントの信徒への手紙二 第五章十九節)」と述べていますが、これはつまり私たちにとってこの世で重要な使命は「和解の使者」になる事だと説いているのです。

私達が関係の修復を授かったなら、感謝の心を知り、和解の使者となる、これがクリスチャンと教会にとって一番重要な使命なのです。私達はみな使命を持ってこの世に生まれたのだということを忘れてはなりません。私達は神様のみ旨を実行し、公義、哀れみ、愛、善良に満ちた天国と同じような世界を作り、イエスの愛を褒め称えるためにこの世にいるのです。和解の使者になり、世の中にいい人間関係の祝福をもたらすこと、それが私達の使命なのです。

友達との関係
 イエスは信徒に「もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに伝えたからである(ヨハネによる福音書 第十五章十五節)」と言いました。イエスは人の世に生まれ、人と友になり、天国についてのあらゆることを人と分かち合いました。私達はイエスのやり方を見習い、和解の使者となって人々に神様を知らしめ、イエスの友とならしめるのです。

 玉蘭荘は創立時にふたつの美しい使命を負いました。日台の友好と、イエス・キリストの愛です。このふたつの使命は玉蘭荘の二本の足だと言えます。玉蘭荘が前に進むためには、片足では進めません、必ず両の足が必要です。ですから玉蘭荘に関わる全ての人に、日台交流とイエス・キリストの愛を伝え、互いに友情をはぐくみ、成長して和解の使者となり、更にはイエス・キリストの友となり、永遠の生命の祝福がもたらされることを願っています。そしてまた私自身も玉蘭荘のメンバーのひとりとして、よい関係と環境を作り続け、玉蘭荘と自分自身に生命の祝福がもたらされることを願っています。

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 541