コロナ禍で語る「危機に向き合う方法」/鄭獻仁牧師

(聖書 出エジプト記 第十四章十三~十六節)

二〇一九年十二月、中国湖北省武漢市で発見された原因不明のウイルス性肺炎(当時は武漢肺炎、今は新型コロナウイルスと呼ばれています)は、瞬く間に世界中に蔓延しました。これは二十一世紀最大の危機と言われ、マスクの着用やソーシャルディスタンスなど、世界中の人々の生活が大きく変わり大混乱に陥りました。幸い今ではワクチンも開発され、全世界が徐々にコロナウイルスとの共存を目指すようになってきています。

人生の旅路において、生老病死は避けることができません。

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。」(ヨハネによる福音書第十六章三十三節)

困難に陥ったときに、いかにこれに向き合い、打ち勝てばよいのか、聖書には次のようなお話があります。

出エジプト記の十四章で、エジプト王ファラオはイスラエル人をエジプトから去らせてしまったことを後悔します。古代の奴隷は今でいう機械のようなもので、奴隷がいなければエジプトの経済は回りません。そこでファラオは軍を率いてイスラエル人(=奴隷)を連れ戻そうとしました。やがてイスラエル人は行く手を紅海に阻まれ、後ろからはエジプト軍が迫りくるという状況に陥ります。ここで、モーセはいかにしてイスラエル人をこの危機から救ったのでしょう。

(一)恐れないこと(出エジプト記 第十四章十三節)
人が危機に面した時、一番最初の反応は恐れることです。始祖であるアダムとエバが罪を犯したことで、人は心に"恐れ"を持つようになりました。では信仰があれば恐れはないのでしょうか?そうではなくて、信仰があれば恐れに打ち勝つことができる、ということなのです。信仰の父であるアブラムでさえ、恐れることがありました。それに対し主は「恐れることはない」と諭します。

「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。
『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。』」(創世記第十五章第一節)|

アメリカの初代大統領リンカーンは敬虔なクリスチャンで、南北戦争の頃は常に一冊の聖書を持ち歩いていました。彼は朝晩聖書を読み、祈りをささげる習慣があったので、この戦争は人々にとって大きな危機だと考え、恐れながらも聖書(詩篇第三十四章第五節「わたしは主に求め、主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。」)を読むこと、つまり神の言葉によって力を得ました。そしてついには北軍が南軍を下しアメリカの統一が実現したのです。

(二)ただ静かにしていること(出エジプト記 第十四章十四節)
普通の人には共通する弱点があり、それは危機に面した時に静かにしていられないことです。大きな声で泣き叫んだり、不満を口にしたり、自分や他人を罵ったりしてしまうのです。クリスチャンはその点、静かにすることを神様から学んでいます。静かにしていなければ神様の声が聞こえないからです。

危機に面した時、人は軽はずみな言動をとってしまいがちです。なぜなら心が落ち着かず分別がつかなくなってしまうからです。聖書のみ言葉を見てみましょう。
「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」(箴言 第四章第二十三節)
「力を捨てよ、知れ。わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」(詩篇第四十六章十一節)
力を捨てるとは、心を静めるということです。かつてマザーテレサはこう言いっています。「静けさがなければ、祈りもありません。(Without quietness,there will be no prayer)」


(三)勇気をもって前進すること(出エジプト記 第十四章十五~十六節)
モーセが紅海に向って杖を持った手を差し伸べたのを見たイスラエル人は、それが前進の合図だとわかりました。行くべきかどうか迷っていると、主は彼らのために死から逃れる、つまり無事に紅海を渡る道を作ってくださいました。(出エジプト記 第十四章十五~十六節)行く手に道はなく、後ろからエジプト兵が迫る、まさに「絶体絶命の危機」の中、主は道を開いて彼らを約束の地・カナンへ導いたのです。

神学には「人の果ては神の始まり」という言葉があります。私たちが重大な危機に面した時、どのような態度をとるでしょうか。信仰の気持ちはどうなるでしょうか。「言うは易く行うは難し」とはいいますが、この2年以上も続くコロナ禍で、私達は様々な対策を学び、それを実践して自分や周りの人を守ってきたのです。

ですから、私達はどんな危機に面しても、恐れず、ただ静かに、そして勇気をもって前進すれば、万軍の主が道を開いてくださいます。最後にこちらのみ言葉をもって、皆で励ましあっていきましょう。

「わたしは、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネによる福音書 第十四章二十七節)

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 245