兄弟姉妹が手を取り合うということは、 いかに美しいことか/黃春生 理事長

(詩篇百三十三篇 一~三節 )

世界中が新型コロナウイルスの猛威に晒され続け、間もなく三年が経とうとしています。この間私達は人類の弱さを思い知らされ、また互いに「団結」することによって被害を最低限に抑えることを学びました。政府や医療関係者の指揮と市民の協力により、台湾ではいわゆるロックダウンも行わず、皆比較的自由に生活できています。このような状況で、玉蘭荘の三十三周年という記念すべき日を皆さんと共に過ごすことができ、主のみ恵みに心から感謝しております。

今年の感謝礼拝は臺北濟南教會で行われましたが、これにも大きな意義があり、この臺北濟南教會は日本のクリスチャンが一八九六年十一月二十二日に設立した台湾で初めての教会なのです。当時の教会の長老・長尾半平は台湾総督府の土木局長で、台北の都市計画を開始し、一九〇四年に台北城の城壁を取り壊した後、西門外街にあった教会を東門外街に移転させる計画を立てました。そして大稻埕の豪商でのちに台湾茶葉の父と呼ばれる李春生長老の協力を得、また日本人信徒の奉仕もあって、一九一六年に現在のこの場所(中山南路三號)にゴシック式のレンガ造りの礼拝堂が完成しました。この礼当時台湾総督府は台湾統治の各方面に力を注ぎ、内地(日本)でも一流の人材を呼び寄せ、結果台湾は一九三〇年代にはアジアで最も開発の進んだ地域になりました。事実、当時の台湾にはアジア一と謳われたものが少なくなく、南部の嘉南大圳は当時アジア最大の水利事業であり、またアジアで下水道が最も完備された都市は台北でした。

戦後、宣教師の努力と、こうした台湾と日本のあつい「絆」によって、私たちの玉蘭荘も創立されました。玉蘭荘はこの「絆」のもと、この台北で皆さんがでともに集い、語り、歌い、学び、信仰を分かち合うことでその生活がより豊かになるよう、そしてこの「絆」が未来につながるよう、活動を続けています。

玉蘭荘創立三十三周年のこの記念すべき日に、詩篇百三十三篇の一~三節を皆さんと分かち合いたいと思います。第一節の「見よ、兄弟が共に座っている。」には「手を取り合って」とは書いていませんが、「共に」という言葉によって、兄弟の関係が強調されています。

「一体(unity)」と「統一(uniformity)」は似ているようで違います。後者はそのチームの全員がすべて同じ様であることが求められ、同じ価値観を持ち同じ恵みを得ることを目指します。そのリーダーは、その中で一部の不都合なものを排除してゆきます。これを集合主義(collectivism)といい、グループ全体が一元的であることを重視します。一方「一体」というのは多様性の上に成り立つものです。

主は全てのみ恵みを選ばれた少数の者だけに与えるのではなく、多種多様なみ恵みをすべての人に与えてくださいます。大きな仕事はたった一人では成し遂げることができませんが、皆が主から様々なみ恵みを得て、それぞれが受け取ったみ恵みによって力を合わせることで、大きな仕事が成し遂げられるのです。主が様々なみ恵みを一人一人にお与えになるのは、決して比べ合うためではなく、その人々が手を取り合ってひとつになるためで、またそれはその中の誰か一人に栄誉がもたらされるためではなく、主のためであり、全ての人に祝福がもたらされるためなのです。

兄弟が共に手を取り合うというこは、どんなに美しいことか。聖書ではふたつの例えをあげてそれを説明しています。

ひとつは第二節、「かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り、衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り」とあります。レビ記第八章によるとこの油は聖別の油で、これをかけたものは聖なるものとして他のものと区別されます。これを人の頭にかけるということは、その人は祭司として聖なるものを扱う資格が与えられたということを意味します。手を取り合う(一体となる)ということは、聖別の油をかけられて聖なる祭司の任務を与えられるのと同じくらい素晴らしいことだ、ということです。

そしてもうひとつ、第三節では「ヘルモンにおく露のように、シオンの山々に滴り落ちる。」とあります。露とは夜露のことで、これは命の水でエゼキエル書の四十七章ではすべてのものに生命を与える水だと言われています。一体となるということは、このような小さな夜露が集まって川になり、様々な生命を養うような、また塩地を洗い流し土地を蘇らせるような、大きな力となりうる素晴らしいことである、ということです。

このように、一体となる(手を取り合う)ことは聖別の作用を持ち、生命をもたらし、一体となったチームには多くのみ恵みが与えられるのです。それだけでなく、互いに求め、支えあうことによってさらに美しい証しを示すことができるでしょう。

私たちがこうした様々なみ恵みを比較し、他人より優勢に立とうとするなら、そのチームは一体となる事はできません。傲慢な心で他者を軽視すれば、その先にあるのは「統一」です。自分の強みをもって他者の弱みを補おうとするならば、そのチームは「一体」へ向かうでしょう。

主はすべての人にそれぞれ異なる特徴をお与えになりました。それを発揮することで、他者に不安を与えることもあるかもしれませんし、秩序を乱してしまうと思うこともあるかもしれません。しかしこうした多様性というのは主がお与えになった、必要な特徴なのです。

個々の違いを尊重し、多様性を持って「一体」となること、それことが私達に必要とされる「絆」なのです。お互いを認め合い、受け入れ、助け合い、多様なみ恵みにあふれた場所、玉蘭荘もそんな祝福の地となりますように。
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