白い小石/黃 春生 理事長

新しい年が始まりました。
この三年、世界は新型コロナウイルスの猛威に晒され続け、わたしたちは懸命にこれに打ち勝とうとしてきました。ヨハネの黙示禄のなかで、キリスト・イエスは戦いに勝ったクリスチャンにこのように言っています。

「勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また白い小石(ψῆφος)を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかには誰にも分からぬ新しい名が記されている。」
(ヨハネの黙示禄 第二章十七節)

ここでは、苦境に立たされたクリスチャンは「勝利を得る者」であると説き、勝利を得たものは永遠の命を得ることを許され、イエスは白い小石(ψῆφος・psífos)を与えると述べています。
「白い小石」は何を意味するのでしょうか。使徒パウロはクリスチャンが迫害されたときのことをこのように記しています。

「そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。」
(使徒言行録 二十六章十節)

賛成の意思表示をする、というのはつまり「(有罪を示す)小石 (ψῆφος) を投げる」ことです。

紀元前四、五世紀のギリシャ、ローマ時代の裁判は陪審員制で、元老院の貴族や騎士、富裕層の紳士の中から三、四十人の陪審員が選ばれ、判決の時には陪審員たちが「丸い小石(ψῆφος (psífos))」を投げて投票したと言われています。黒い石は有罪、白い石は無罪を表しました。

「投票」は古代ギリシャ語でψήφος(psífos...英語の「選挙学」psephologyの語源にもなっています)と言い、元の意味は小石です。古い文献によると、アテネ人の最初の投票の方法は小石を甕の中に投げ入れるものだったと考えられています。

使徒パウロの時代も法廷には陪審団がいて、石を用いて判決を決めていました。パウロはかつてクリスチャンを有罪と判断し、黒い石を投げ入れたと言っています。

ヨハネの黙示禄では、イエスは勝利を得た者に白い小石を与えました。つまりこの人を無罪で純潔な者と見なし、永遠の命を得ることを認めたのです。イエスの審判の基準とは、
「わたしを拒み、私の言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。私の語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。」      (ヨハネによる福音書 十二章四十八節)

イエス・キリストの言葉を受け入れるかどうかが、キリストの「白い小石」を受け取れるかどうかの基準なのです。ですから私達は日々主のみ言葉によって反省し、自分の心を振り返らねばなりません。

古代ローマには次のような習慣がありました。家の前に三つの陶器の器を置いておき、そのうちのひとつには白い小石を、もうひとつには黒い小石をいれておきます。そして残るひとつの器は空っぽです。彼らは外出して家に帰ってくるたびに、家に入る前にそこで立ち止まって今日一日がどんな日だったかを考えます。もし今日誤った行いがあったなら、黒い小石を空いた器にひとつ入れます。もし今日誤った行いがなかったなら、白い小石を空いた器にひとつ入れます。そうして一年後、空だった器に入れられたのは白い小石と黒い小石どちらが多かったか、石の数を調べます。これは少し風変わりな習慣ですが、このようにして自分がこの一年どのように過ごしたか、回顧するのです。

新しい年が始まった今、去年のあなたの器には白い小石と黒い小石、どちらが多かったか振り返ってみましょう。あるいは新しい一年で自分がどれだけ白い小石を得ることができるか、考えてみるのもいいでしょう。願わくはわたしたちが皆主のみ言葉によって勝利を得、「白い小石」を得ることができますように。
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