ボランティアさんのリレーコラム—沢山の恵みに感謝/長野 深雪
editer: 玉蘭莊 date: 2023-04-24 23:47
私個人としては、昨年一年が大変恵まれた年となりました。十月にキリスト教の洗礼を受けクリスチャンとなりました。そのお話などをさせて頂こうと思います。
昨年の二月に開催された玉蘭荘のある会員さんの誕生会に参加させて頂いた際、臼杵みどり牧師と初めてお話をする機会がありました。天母に日語教会があり、そこには猫がいるという話などを聞かせて頂きました。そして教会で「聖書と日本語教室」をやっているので、台湾人の方々の日本語での会話相手としての参加のお誘いがあり、大好きな猫に会いたいとの思いもあり参加させて頂くことになりました。その後CS(子供礼拝 月一回)にも参加させて頂くようになりました。そして、子供の時にクリスチャンの学校に通っていたこともあり、聖書に興味があった私は、自ら「火曜聖書と祈りの会」にも参加することにしました。
私が「火曜聖書と祈りの会」に参加し始めた時期はちょうど「受難節」のお話などがありました。ある時「アダムとイブが禁じられていた善悪を知る木の実を食べたことにより、人は原罪を持って生きていかなければならなくなり、神様はとうしても罪を犯してしまう人間の為に大切な御子イエス様を地上に送ってくださり、イエス様は人の罪が許されることを示す為、苦しみの十字架にかけられ、お亡くなりになり、復活された。」ということを、とても素直に受け入れることが出来ました。そして、このことが信仰告白であることをみどり牧師より教えて頂きました。
半信半疑ではありましたが、真っ黒な汚れた人間である私も許されることを知り、とても嬉しく思いました。なぜなら私は今まで生きて来た中で、犯罪歴はありませんが、沢山の選択を誤り、人の心を傷つけ、自分のことばかりを優先して生きて来ました。そして、そのことをいつも他人が悪いんだ、環境のせいたと、原因は自分に無いと言い訳をして生きて来たのです。その為かどんなに他人から高く評価されることがあっても、いつも心の中では違う、私は良い人間ではないという思いがあり、少しも自分に自信を持つことが出来ませんでした。人に褒められること、感謝されることがあったとしてもそれを素直に受け取れず、たとえ奉仕をしていても満足することなどありませんでした。その為、私の罪の為にイエス様が十字架に掛かり、お亡くなりになり、復活してくださったこと、そして、人はイエス様を信じることでたとえ罪を犯したとしても、悔い改めることにより赦されることが分かった時、本当にありがたいことだと思いました。罪が赦されるということは、今後私は顔を上げ、前を向いて残りの人生を歩いて行けると思ったからです。
その後、私は教会で練習を行っていた足立合唱団に入りました。歌うことに自信がなく合唱団なんて一生参加することなどないと思っていましたが、短い間にも何度もお客様の前で披露する機会に恵まれました。玉蘭荘の三十三周年慶感謝礼拝でも披露させて頂きました。練習は難しい時もありますが、素晴らしい指導者と仲間に囲まれとても楽しく参加出来ています。今日教会にて讃美歌を歌うことにもつながりました。そして気がつけば玉蘭荘でのボランティア活動、日本人学校の課活の「飾り結び」の指導など、義務感をもって行っていたものが、とても楽しいものとなっていました。奉仕というものがやらなければならないものから楽しくやらせてもらっているものとなっていました。苦手な事に挑戦出来たことも、奉仕への気持ちの変化も自分でも驚くべきことでした。周りの方々にも私の変化は明らかだった様で、いい意味で変わったと沢山の方から言われました。
このような自分の変化を神様に感謝し、私は昨年十月に台北市城中教会の日語教会礼拝にて沢山の方々に見守られ、洗礼を受けることが出来ました。
昨年のクリスマスには教会のページェント(降誕劇)にも参加させてもらいました。これは玉蘭荘でも僭越ながら披露させて頂きました。短いセリフ、短い独唱もさせて頂きましたが、何よりも嬉しかったのは、私が制作した劇で使う小道具や準備した衣装を教会の方々にも喜んで頂けたことです。何気なく言った「ローマ兵の装束を作りましょうか。」から始まり、以前に牛乳パックや段ボールで日本の鎧兜を作った経験や、他のクラフト経験でのアイディアを振り絞り、ローマ兵の装束、博士の帽子、献げ物などを作りました。教会の方々から「凄い」と言われ、褒められることに慣れていない為戸惑ってしまったくらいです。キリスト誕生という喜び溢れる場面の再現に少し色を添えることが出来たような気がしてとても嬉しかったです。
まだまだなりたてのクリスチャンである為、経験、勉強不足で落ち込んでしまったりすることはありますが、その都度、教会等の兄弟姉妹の方々に励まされています。かつて、前向きに生きたくて、自分を変えたくて、溢れんばかりの情報の中でもがいていた自分が今となっては噓の様に感じます。私に起きたこの変化は奇跡ともいえる、神様からの恵みだと思います。今後の人生も何があるかは分かりません。辛いこと、苦しいことが沢山待っているかもしれません。そんな時でも神様が共にいて下さることを心に留め、たとえ時間がかかっても乗り越えていきたいと思います。
最後に私は主人の仕事に帯同し台湾に来ました。主人が忙しく、共に台湾を楽しむことはなかなか出来ない状態の中、私は玉蘭荘、日語教会をきっかけに沢山の台湾の方々、台湾在住の日本人の方々と出会い共に過ごさせて頂いています。この地で洗礼を受けたことで台湾は私の第二の故郷となりました。皆様にも感謝の気持ちで一杯です。日本に帰国する時期も迫ってきています。残りの期間を大切にし、そしてこの地で頂いた沢山の恵みを自分の大切な宝物として、日本に持ち帰りたいと思っております。