玉蘭荘三十五周年記念日を迎えて/創立者 堀田久子宣教師

敬愛する玉蘭荘の皆様、三十五周年記念日を迎え、心からお祝い申し上げます。又昨年は、数日間の短い間でしたが、楽しい有意義なお交わりの時が与えられ、お礼申し上げます。

三十五年前を振り返って、丁度幼児の歩き始めのような、たどたどしい出発を思い出します。しかし、神様は、多くの兄弟姉妹のご協力と祈りを通して、今日在る玉蘭荘を、導き守り続けて下さいました。

この間、玉蘭荘を支えご協力下さいました諸教会の牧師、理事長、理事の方々、総幹事を始め、多くのボランティアの諸兄姉の尊いお働きに、深謝申し上げます。

すでに、御国に召された先輩達と共に歩まれた日々を思い起しながら、骨身惜しまず、御奉仕下さった日々を、振り返える時、感謝で胸が熱くなるのを覚えます。

私は今年誕生日を迎え九十二歳の超高齢者の仲間入りとなりますが、台湾の地で共に歩んで下さった愛する兄弟姉妹の、物心兩面でご協力、お支え続けて下さった御奉仕を思い起こしながら、感激で涙する事があります。間もなく、愛する皆さんとの再会の時が与えられる日を、楽しみにしております。

今日まで、玉蘭荘の步みを導きお守り下さり、三十六周年に向って、引継がれて行く歩みを、共に担って下さる皆様の上に、変らずこれからも、祝福と導きが与えられますように、お祈り申し上げます。

最後に、私の台湾での生活の中で、今も忘れる事のできない一人の姉妹について、皆様にお伝えしたいと思います。

私は、一九六一年七月、約三週間の日程で「第二次世界大戦謝罪の旅」訪華団に参加し、二十数名の諸教会の牧師、伝道師の方々と共に、台湾の諸教会を訪問させて頂きました。この時のプログラムの中で、台湾に嫁がれてた日本婦人達の集まりが、嘉義の何さんのお宅でありました。

台南や附近の町々から、十数名の婦人達が集われていました。私達が参加した婦人伝道師三名は、戦争によって、多くの台湾の男子が犠牲となり、戦死された事や、日本統治時代の厳しい專制政治等の誤った政治や、圧政について、謝罪すると共に、キリストによる福音をお伝えしました。その後、午後から日本人技士によって、戦中に建設された人造湖に、皆さんと共に楽しいピクニックに出かけた事を、今もよく記憶しております。

その折に、皆さんと共に記念写真を撮りましたが、今も手元に何枚か保存されてあり、時々眺めては、懐かしく思う事があります。

私の内に残っていた袁さんの記憶は、この時に見た黒いチャイナ服の色白の美しい声の婦人でした。

私が二度目に台湾の地を踏む事になったのは、一九八〇年で、この時は、台湾の楽山園での障害児教育のお手伝いの為でした。

その後一九八五年、台北に、台湾長老教会の東門教会で行われていた「聖書と祈りの会」に一九八五年から一九九二年まで、主として台湾の方と結婚された元日本婦人と、日本の統治時代に、日本語で教育を受けられた、台湾の方々でした。

袁さんは、御主人はすでに他界されて、三男さんと、高校生のヒロ君(袁さんはいつもこのように呼んでおられました)と三人で、台北市からバスで、約三十分位の新店の町に住んで居られ、お元気の時は、バスで淡水にある女子短大で、日本語の教師として働かれていました。

袁さんの日本語は、歯切れの良い発音で、澄んだ日本語で、東京生れの標準語でしたから、教師として、最適な人材であったと思います。

私がすでに退任真近かな時、袁さんは四十年振りに中国を訪問する事ができました。四十年近い長い間待ちに待った、夫の故郷です。二才になる長男を、義父母に托し、中国から台湾に異動した蒋介石軍の兵士であった夫のもとに、移動し、今日、その夫に先立たれ、三男と孫と三人で暮していたその時に、突然中国から、四十才を過ぎた長男からの電話を受けたのでした。そして、息子の招きで、殆んど人生の終末期に、忘れる事の出来ない息子に会う為に、三男と共に、約三週間の旅を共にしながら、幸せな日々を過して、帰国されました。息子は、中国で会社の社長の信用を得、要職にあって、二人の孫の父として、幸せな家庭を築かれていました。

中国の楽しい息子家族との交わりを、どんなにか喜び楽しんで過ごされた事でしょう。一緒に中国で暮す事を、望んでおられた袁さんは、どんなにつらい思いで、台湾に戻られた事かと思います。しかし、引き続き、三男と孫のヒロ君との生活が、袁さんに取っては、離れる事の出来ない責任でもあったのだと思います。

又、私たちの台北での、ディケアーセンター玉蘭荘での活動も、たとえ義足をつけて、バスを利用しながら、通う困難もいとわず続けながら、皆さんと楽しく続けられたと聞かされていました。
袁さんとの思い出は、私の伝道者としての生涯で、決して忘れられない、宝物のように思います。今でも笑顔で、「先生、」と話された袁さんの笑顔と、きれいな歯切れのよい日本語は、私の耳に残っています。

キリスト・イエスに在る生涯の、強さと忍耐を、袁さんの生涯の内に見せて頂いたと、今でも思っています。

最後に救急車で病院に行かれる時、ヒロ君だけおられ、二階から降りられる担架の上で、笑みを浮かべながら、門の近くで、息を引き取られたとお聞きしました。

ミカ書六章八節
「主はあなたに告げられた。
人よ、何が良いことなのか。
それは、ただ公義を行い誠実を愛して
へりくだって あなたの神とともに
歩むことではないか。」
アーメン

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