感謝の気持ちで、愛の力を発揮/黄春生 理事長
editer: 玉蘭莊 date: 2024-10-17 17:58
今日、我々は玉蘭荘創立三十五周年の祝会を行います。まず、神様のご恩に感謝を捧げます。そして、今まで玉蘭荘のために力を尽くして下さった皆様に、感謝の意を申し上げます。
今年、我が玉蘭荘は日本外務大臣の表彰を受賞しました。交流協会のHPに玉蘭荘の功績は「日本と台湾との相互理解の促進」と書かれています。
玉蘭荘は一九八九年に創立されました。当時、日本語を禁止する戒厳令は既に解除され、台湾で戦前、戦後に台湾人と結婚した日本人の婦人たちのため、また日本語教育を受けた台湾人のために、日本語の交流の場を提供するのが創立の目的でした。現在、毎週二回の活動が行われています。活動の内容は礼拝を始め、日本語の歌、手工芸、書道などがあります。またバザーや、日本の学生との交流など、様々な活動が行われます。それ以外にも、玉蘭荘と歴史的、人間的な繋がりのある教会、日本語で活動する台湾の団体、また関心を持つ日本企業との間に、深い関係を持ち、台湾と日本との理解の促進に貢献しています。
本日、玉蘭荘創立三十五周年を祝うと同時に、皆様と一つのこと、我々が日常でよく見落とすこと、「お祝い」について考えたいと思います。「お祝い」は祝賀するだけではなく、神様や周りの人に、私たちの敬意、感謝、祝福を表すことです。「お祝い」は積極的な行動で、私たちに神様への信頼、人への愛を喚起し、私たちの世界に多大な影響を与えます。
一、お祝いの意義
「お祝い」は「敬」と「祝」に分けられます。「敬」は尊敬、敬畏、神様への敬意、人への尊重です。「祝」は祝福であり、私たちの心から、皆さまが神様のご恩を蒙ることを願うのです。従って、「お祝い」は敬意と愛の行動で、他人の幸せを願うだけではなく、敬畏の気持ちで、主から祝福を賜ることを神様に願うのです。
先ほど、私たちは祝福と感謝の聖書を拝読しました。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙(一)五:十八)
これは、私たちに、いかなる環境においても、私たちは「感謝」と「祝福」を忘れずにしなければならない、と示しています。「感謝」と「祝福」は個人の良い行為であるだけでなく、神さまのご意志でもあります。私たちはお互いに、愛を持って捧げ合い、励まし合い、そして愛を分かち合うのです。パウロは常に、感謝の気持ちで、愛の力を体験しなさいと信徒に教えました。逆に、マイナスな思考、或いは怨恨の感情は、何一つ良い事がありません。台湾の諺に、「家がひとつになれば、何事も成し遂げられる」とあります。調和の取れた玉蘭荘、祝福された玉蘭荘、我々がひとつになるのです。
二、お祝いと感謝との関係
お祝いの裏には、感謝の心が隠されています。私たちが他の人を祝福できるのは、私たちは自分が頂いた恩を意識しているからです。「私の魂よ、主をたたえよう。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。」(詩篇一〇三:二)主の御計らいを振り返ってみると、自然に、私たちは主をたたえ、そしてより多くの人がその御計らいを賜る事ができるよう望むでしょう。
ある牧師が重い病を患っている老婦人を見舞いに行きました。老婦人は非常に弱っていても微笑んで、牧師に「牧師、私は感謝しています。病を患っていても、主は私に沢山のことを下さいました。私には太陽が見えます。家族とも一緒にいます」と告げました。そして、「私は毎日、家族のためにお祈りをしています。主が皆を祝福し、見守ってくださるようにと祈っています。」と言いました。
老婦人の話を聞いて、牧師は非常に感動しました。老婦人が困難の境地に陥っても、常に感謝の気持ちを持って、他の人を祝福しているからです。これはお祝いの力です。どんな境遇に遭っても、主に全てを任せ、他者に対する愛を持ち続けるということです。
三、お祝いの実践
では、私たちは如何にして、お祝いを実践するのでしょう。実は非常に簡単に、かつ力強く実現できるのです。まず日常のお祈りの中で、他の人を祝福することです。主の御計らいが家族や友達、社会に普及するでしょう。そして私たちは言葉と行動で敬意と祝福を表し、困難に直面している人に、励ましながら、力を貸すのです。祝う時には、誠心誠意一緒に喜ぶことです。
たとえば、ある人が目標を達成した時、私たちは羨んだり、妬んだりしてはなりません。逆に誠心誠意その人を祝福するのです。祝福する事によって、お互いの関係がより深く結ばれることでしょう。またこの行為は、主への従順と感謝との反映でもあるのです。
物語:ある小さな村での祝福
ある小さな村に、貧しい農民が住んでいました。村に「村の祝福者」と村民から呼ばわれる老婦人がいました。老婦人は毎日村の中を歩きまわって、村民に祝福をしていました。そしてどんな人に対しても、「主の福がありますように、何時もあなたを見守ってくださいますように」と言っていました。
ある年、旱魃が発生して畑は枯れてしまい、農産物が不作となり、村民は皆困っていました。村民たちは生活が苦しくなり、文句を言い始めました。しかし老婦人は相変わらず村民を祝福し続け、「心配する事はありません。主の御計らいは必ず賜れます。」と励ましていた。
数日後、奇跡的に雨が降って、畑は救われました。村民は老婦人に対して口々に感謝の言葉を述べました。老婦人の信仰心、祝福が変化と希望をもたらしたのです。
本当に「奇跡」か否かは別として、この物語から、一人の祝福者の信仰心が村民に「諦めない希望」をもたらしたことは間違いありません。お祝いの力は私たちの想像を超え、信仰心と愛を持って祝福すれば、主の御計らいも雨のように私たちの境地を変え、畑を潤すのです。
結論:
皆さま、お祝いは力強い行動です。毎日の生活の中で、感謝の気持ちを持って、他の人に祝福を捧げましょう。家庭内、職場、コミュニティー内、私たちが「祝福者」であるように、お祝いによって、愛と希望をもたらしましょう。主から賜ったご恩と栄光を反映しましょう。
一緒に、お祈り致します。
「親愛なる天におられる父よ、あなたが私たちに下さる数々のご恩に、感謝いたします。私たちが常に周りの人に祝福と愛を捧げられるように、感謝の気持ちを授けてください。私たちの生命があなたのご恩の印になりますように、この世に平和と喜楽をもたらしますように。力をください。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン」
(翻訳:龔昭勲理事)
(*黄春生理事長玉蘭荘35周年感謝礼拝メッセージ原稿)
今年、我が玉蘭荘は日本外務大臣の表彰を受賞しました。交流協会のHPに玉蘭荘の功績は「日本と台湾との相互理解の促進」と書かれています。
玉蘭荘は一九八九年に創立されました。当時、日本語を禁止する戒厳令は既に解除され、台湾で戦前、戦後に台湾人と結婚した日本人の婦人たちのため、また日本語教育を受けた台湾人のために、日本語の交流の場を提供するのが創立の目的でした。現在、毎週二回の活動が行われています。活動の内容は礼拝を始め、日本語の歌、手工芸、書道などがあります。またバザーや、日本の学生との交流など、様々な活動が行われます。それ以外にも、玉蘭荘と歴史的、人間的な繋がりのある教会、日本語で活動する台湾の団体、また関心を持つ日本企業との間に、深い関係を持ち、台湾と日本との理解の促進に貢献しています。
本日、玉蘭荘創立三十五周年を祝うと同時に、皆様と一つのこと、我々が日常でよく見落とすこと、「お祝い」について考えたいと思います。「お祝い」は祝賀するだけではなく、神様や周りの人に、私たちの敬意、感謝、祝福を表すことです。「お祝い」は積極的な行動で、私たちに神様への信頼、人への愛を喚起し、私たちの世界に多大な影響を与えます。
一、お祝いの意義
「お祝い」は「敬」と「祝」に分けられます。「敬」は尊敬、敬畏、神様への敬意、人への尊重です。「祝」は祝福であり、私たちの心から、皆さまが神様のご恩を蒙ることを願うのです。従って、「お祝い」は敬意と愛の行動で、他人の幸せを願うだけではなく、敬畏の気持ちで、主から祝福を賜ることを神様に願うのです。
先ほど、私たちは祝福と感謝の聖書を拝読しました。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙(一)五:十八)
これは、私たちに、いかなる環境においても、私たちは「感謝」と「祝福」を忘れずにしなければならない、と示しています。「感謝」と「祝福」は個人の良い行為であるだけでなく、神さまのご意志でもあります。私たちはお互いに、愛を持って捧げ合い、励まし合い、そして愛を分かち合うのです。パウロは常に、感謝の気持ちで、愛の力を体験しなさいと信徒に教えました。逆に、マイナスな思考、或いは怨恨の感情は、何一つ良い事がありません。台湾の諺に、「家がひとつになれば、何事も成し遂げられる」とあります。調和の取れた玉蘭荘、祝福された玉蘭荘、我々がひとつになるのです。
二、お祝いと感謝との関係
お祝いの裏には、感謝の心が隠されています。私たちが他の人を祝福できるのは、私たちは自分が頂いた恩を意識しているからです。「私の魂よ、主をたたえよう。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。」(詩篇一〇三:二)主の御計らいを振り返ってみると、自然に、私たちは主をたたえ、そしてより多くの人がその御計らいを賜る事ができるよう望むでしょう。
ある牧師が重い病を患っている老婦人を見舞いに行きました。老婦人は非常に弱っていても微笑んで、牧師に「牧師、私は感謝しています。病を患っていても、主は私に沢山のことを下さいました。私には太陽が見えます。家族とも一緒にいます」と告げました。そして、「私は毎日、家族のためにお祈りをしています。主が皆を祝福し、見守ってくださるようにと祈っています。」と言いました。
老婦人の話を聞いて、牧師は非常に感動しました。老婦人が困難の境地に陥っても、常に感謝の気持ちを持って、他の人を祝福しているからです。これはお祝いの力です。どんな境遇に遭っても、主に全てを任せ、他者に対する愛を持ち続けるということです。
三、お祝いの実践
では、私たちは如何にして、お祝いを実践するのでしょう。実は非常に簡単に、かつ力強く実現できるのです。まず日常のお祈りの中で、他の人を祝福することです。主の御計らいが家族や友達、社会に普及するでしょう。そして私たちは言葉と行動で敬意と祝福を表し、困難に直面している人に、励ましながら、力を貸すのです。祝う時には、誠心誠意一緒に喜ぶことです。
たとえば、ある人が目標を達成した時、私たちは羨んだり、妬んだりしてはなりません。逆に誠心誠意その人を祝福するのです。祝福する事によって、お互いの関係がより深く結ばれることでしょう。またこの行為は、主への従順と感謝との反映でもあるのです。
物語:ある小さな村での祝福
ある小さな村に、貧しい農民が住んでいました。村に「村の祝福者」と村民から呼ばわれる老婦人がいました。老婦人は毎日村の中を歩きまわって、村民に祝福をしていました。そしてどんな人に対しても、「主の福がありますように、何時もあなたを見守ってくださいますように」と言っていました。
ある年、旱魃が発生して畑は枯れてしまい、農産物が不作となり、村民は皆困っていました。村民たちは生活が苦しくなり、文句を言い始めました。しかし老婦人は相変わらず村民を祝福し続け、「心配する事はありません。主の御計らいは必ず賜れます。」と励ましていた。
数日後、奇跡的に雨が降って、畑は救われました。村民は老婦人に対して口々に感謝の言葉を述べました。老婦人の信仰心、祝福が変化と希望をもたらしたのです。
本当に「奇跡」か否かは別として、この物語から、一人の祝福者の信仰心が村民に「諦めない希望」をもたらしたことは間違いありません。お祝いの力は私たちの想像を超え、信仰心と愛を持って祝福すれば、主の御計らいも雨のように私たちの境地を変え、畑を潤すのです。
結論:
皆さま、お祝いは力強い行動です。毎日の生活の中で、感謝の気持ちを持って、他の人に祝福を捧げましょう。家庭内、職場、コミュニティー内、私たちが「祝福者」であるように、お祝いによって、愛と希望をもたらしましょう。主から賜ったご恩と栄光を反映しましょう。
一緒に、お祈り致します。
「親愛なる天におられる父よ、あなたが私たちに下さる数々のご恩に、感謝いたします。私たちが常に周りの人に祝福と愛を捧げられるように、感謝の気持ちを授けてください。私たちの生命があなたのご恩の印になりますように、この世に平和と喜楽をもたらしますように。力をください。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン」
(翻訳:龔昭勲理事)
(*黄春生理事長玉蘭荘35周年感謝礼拝メッセージ原稿)
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