[183期]







撒 種 的 人/伊藤初 牧師

有一個撒種的出去撒種。(路加福音八章五節) 耶穌在撒種的比喻中,首先談到了沒能結實的三種土壤。所謂「路旁」,指的是聽了道卻不接受的頑梗之心。因為神的道在這樣的心中沒有根,所以馬上就被魔鬼給奪去了。所謂「石頭地」,指的是雖然聽了神的道,但遇見試煉的時候,立刻就退縮了。所謂「荊棘」,指的是聽了神的道,但被這個世上的誘惑給迷住,以至於結不出成熟子粒的人。最後是落在好土裡的種子,最終結出了100倍的果子。............

 
種蒔く人/伊藤初 牧師

種を蒔く人が種蒔きに出て行った。(ルカによる福音書八章五節) イエス様は種まきの譬えの中でまず、実を結ばなかった三つの土地の話をしています。道端とは、み言葉を聞いても受け入れないかたくなな心を表しています。そういう心では、み言葉は根を張らないので、すぐに悪魔に持ち去られてしまいます。石地とは、み言葉を聞いてもうまくいかないことがあるとすぐに諦めてしまうことです。いばらとはこの世の誘惑に心を奪われ、み言葉が実を結ばない人のことを言っています。最後に良い地に落ちた種は、100倍の実を結びました。..............................


神的愛與恩典澆灌的地方—玉蘭莊/總幹事 陳雪美

從去年7月承接玉蘭莊總幹事的工作到現在,整整滿一年了。如果說,要為這一年命名的話,我會將它稱之為「我人生中充滿恩典與奇蹟」的一年。 為何會如此命名?那是因為我覺得,若沒有神的恩典,我不可能做得來這份工作。若不是奇蹟,非日文系畢業、沒有留日經歷或日商任職經驗的我,又怎麼可能擔任這項工作超過一年呢? ...........................
 

主の愛と恵みの注がれる場所---玉蘭荘/総幹事 陳雪美

昨年の7月より、玉蘭荘で総幹事の任にあたることになり、すでに1年が経ちます。この1年をひと言で表すなら、「私の人生で恵みと奇跡に満ちた年」だったと言えるでしょう。なぜなら、私は日本語学科を卒業したわけでもなく、留学経験も、日系企業での就労経験もありません。それでも、この職責を全うできたのは、主の恵みがあったからこそであり、それこそが奇跡だと思うのです。着任の際には、全く自信もなく、いつまで続けられるかもわかりませんでした。しかし、主の呼びかけに従い、この新たな挑戦に踏み出すことができたのです。幸いなことに、多くの人が私のために祈り、そして、主は必要な時に必要な人を遣わし、一つ一つの職務を果たせるよう支えてくださいました。主が、私に恵みを与えてくださるように、玉蘭荘を慈しみ、ここに集う全ての人を愛してくださっていると感じます。主の御手に導かれ、その恵みの中で、玉蘭荘の運営も円滑にすすめることができました。主は、玉蘭荘に集まる全ての人に草原や水辺を思わせる憩いの場を与えてくださっているのです。..............


義工專欄—我與台灣和玉蘭莊/勝田桂子

因著丈夫工作的關係,我從5年前,開始在台北生活。那時正是丈夫從原本單身赴任的新加坡調到台灣、兒子出社會開始一個人住外面的時候。因為丈夫長時間單身赴任,因此這回我也決定搬到台灣陪丈夫一起住。就這樣,展開了睽違許久的夫妻兩人的生活。 在台北生活的日子非常舒適,沒有任何不便之處。因為閒暇的時間很多,所以就調查了一下,看看有沒有什麼我能做的事,結果得知了關於受日本教育的長輩們所聚集的玉蘭莊的事。 ...........................
 

ボランティアさんのリレーコラム—私と台湾と玉蘭荘/勝田桂子

主人の仕事で五年前から台北で暮らすことになりました。主人は単身赴任をしていたシンガポールから。息子は就職をし、一人暮しを始めていたところでした。長いこと単身赴任していたので、今回は私も一緒に台湾に行くことに決めました。久しぶりの夫婦二人だけの生活が始まった訳です。 台北での生活は快適で、不自由無く暮らせていましたが、時間は沢山ありますし何か私でも出来る事は無いかと調べていたところ、日本語世代の方々が集う玉蘭荘の事を知りました。.............



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