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七十一歳で父は召されました。父が召されて早四十年が経とうとしています。

当時、癌(脾臓)で入院していた父を、姉と私と妹は毎朝、家の仕事を終えると見舞いに行っていたものです。ある朝(冬の寒い日)父の所へ行った私達は、しきりに汗を拭いている父にびっくりしました。「この寒い天気に、どうして汗を拭いているの?熱でも出たんじゃない」と聞いたら「いいや、夢を見たんだ」と・・・ そしてその夢を話してくれたのです。

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さわやかな涼風の吹き始める秋が、またやって参りました。今年の秋は常夏の台湾では、例年に比べて早めに到来した気がします。それは、今年が数十年来体験した事のなかった、一ヶ月平均三十五~三十七度という酷暑の連続へのお恵みだったのでしょう!秋の気候は、「天高く馬肥ゆる」の清々しさを感じる一方、漢字で、秋と心を合わせると「愁い」や「憂ひ」の時候と思われます。ですから中国語で「多事之秋」と言いまして多事多端の年とも言われます。さて今年二〇一三年を今振り返ってみますと、台湾にとって多事多難な秋だったのではないでしょうか。

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今年是我駐台的第四年,從開始擔任玉蘭莊的義工,至今將整整三年了。

說是三年,其實我只擔任接待員的工作而已。我想一定有許多人還不認得我,或還不知道我的名子吧!

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砧板上的魚/劉碧雲 (會員)-(140)

黃金中年時期,我總是精神抖擻地主持貿易公司的業務。每天清晨在天矇矇亮時,就起床和外子趕去松山機場前的民航局網球場打球,並和夥伴們吆喝、鬥嘴,快樂地打得滿頭大汗後沖洗乾淨,再換裝打扮相偕去公司上班。

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「動劍的人,要喪命在劍下」。

主耶穌這句教訓是永遠的真理。草會枯,花會凋謝,然而上帝的話永遠不變。我們也在短短幾十年當中,親眼體驗這事實。
八月十五日又來到,六十八年前的記憶還新鮮在心裏,絶不會忘記。一九四五年春天,東京在三月十日和五月二十七日,遭到兩次大空襲,每次將近十萬人被燒死,帝都變成一片的廢墟。我住在小石川大塚仲町,公寓好不容易能免遭難,但周圍也幾乎被燒掉。後來廣島和長崎被投原子彈,又是每次將近十萬人當場喪命,並且後患無窮。就這樣戰爭結束了。感覺真像古人所說:「國破山河在」。

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玉蘭莊行事曆中的一個項目是「慶祝父親節」。我去年寫過「父親的為人」刊載在「玉蘭莊通訊」第一百三十六期上。今年的父親節,從另外一個角度來寫有關父親的文章。

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時逢涼風舒暢的秋天,今年的秋天,比起往年似乎來得早些。這是因為今年夏天,經歷了數十年來從未有過的連續三十五~三十七度月均溫的緣故。秋天的氣候一般是「秋高氣爽」的清涼感覺。漢文將「秋」字與「心」字合起來寫成「愁」字,也是連同「憂」字,是憂愁的意思。華語所謂「多事之秋」,指一年之中,發生了許多事端的意思。若回顧一下今年二○一三年,對台灣來說,是不是多事之秋呢?

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夫の転勤に伴い台湾にやってきて二年。玉蘭荘でボランティアを始めて一年と少し・・・ボランティアを通じ、今まで深く知ることのなかった台湾と日本の歴史に触れることのできる機会を得て幸せなことだと感じています。

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