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☆這次參加交流會,順便帶了日本傳統玩具小布袋跟他們一起玩,想不到他們對那小玩藝充滿懷念且很有興趣的樣子,看著他們興高采烈地邊談邊玩耍,覺得很窩心。他們以熱誠,和藹的態度歡迎我們,使我們感到很高興。經過這次交流後,決心今後我要成為一個善體人意的人。

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交流會心得專輯/台灣三菱電機員工-(126)

☆ 得知玉蘭莊是一個專為早期受過日本教育的台灣人所設立之日文高齡者關懷中心,心中再度感受到台灣與日本間悠遠的歷史關係。此次能與大家見面,對於各位的開朗與活潑,最為印象深刻。讓我進而想要效法各位的精神,更加地積極努力。在此也祝福大家的每一天健康快樂。

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玉蘭莊的紅白歌唱大賽/連碧玉-(126)

很快的一年一度的『玉蘭莊紅白歌唱大賽』又來臨了,早在一個月前,受命主持的邱明慧さん和我就已開始籌劃如何進行;和今井總幹事、美菁幹事等進一步協商後,就正式開始為這年度大事安排人選,籌劃細節,希望透過這快樂的競賽揮別牛伯伯,迎接虎虎生豐的新喜年!

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世新大学学生代表の感想文 /125号

今回の玉蘭荘訪問はとても楽しかったです。十一月初め、先生からご年配の方々と日本語で会話すると聞いて緊張しましたが、玉蘭荘の方々がとても気さくだったので安心しました。

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玉蘭莊交流會感言/125期

這次訪問玉蘭莊十分開心。
十一月初從老師聽説是和老人家交談。真的有點緊張,幸好玉蘭莊的大家都十分爽朗我才較為放心。

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玉蘭荘交流会を終えて 百瀬英樹 /125号

人の縁とは不思議なもので、意外な出来事から人と知り合い、そんな人と交わす会話の中から何かが始まることがあります。今回の交流会も、そんな何気ないおしゃべりがきっかけでした。世新大学で日本語聴講実習Ⅱという授業を受け持つ私は、狭い教室の中だけで語学学習するだけでなく、生きた日本語と接する実践的な機会を学生たちに用意してあげたいと常々考えていましたが、折よく今井さんのほうから、「玉蘭荘と百瀬さんのクラスとの交流会という企画も考えてみてはいかがですか」という願ってもないお話をいただきました。

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玉蘭莊交流會感言 百瀬英樹/125期

人與人的緣分是很奇妙的事,有時,不意和某人相識,交談之間,就開始發生某些事情。這次交流會也是這樣,從不經意的閒聊中起頭的。在世新大學,擔任日語聽講實習〈二〉課程的我,常常在想,不只是在狹小的教室裡學習語言,應該帶學生去接觸外界,提供他們實踐日語會話的機會。剛好這個時候,遇見今井女士,她提議說:「企劃玉蘭莊與你的學生合作舉辦交流會如何?」這下使我喜出望外。

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玉蘭莊の創立二十周年を慶祝するに当たり、長年思い巡らせておりました「玉蘭莊のシルバー族」を上梓致しましたので、この場をお借りして紹介させていただきます。尚、これにつきましては台湾を始め、日本にて販売させていただき、収益は全て玉蘭莊に寄付させて頂きたいと考えています。何卒ご協力くださいますようお願い申し上げます。価格は台幣三百元、(本円千円、送料(船便)込み)と致します。時代を共に生き抜いてきた高齢の方々や、台湾と日本との関係の歴史を余り知らされていない若い方達へのプレゼントに最適と自負いたしております。五篇からなる内容を簡単にご紹介いたします。

一:玉蘭莊の会員第1号 ~ 野田敦子さん

彼女は所謂「湾生」、つまり台湾生まれの日本人である。祖父は德川幕府末期の某藩の家老に任じられた。時代が変わり父は時計修理を学んで,台北に移り「野田時鐘行」を經營した。敦子さんは台北に生まれ、一高女を畢業した後、日本商社、廈門日本軍部、台灣總督府でタイピストを勤めた。戦後は日本留学の中國人と結婚、三男一女が次々に生まれたものの、夫は出張中に車事故で亡くなり、野田さんが一家の大黒柱となった。
義父母が次々に世を去った後、日本友人から結婚祝いにもらった屋敷は上司に取られ、その後住んだ古い宿舍は豪雨で倒壊した。末子が大学就学中に鬱病で急死、嫁いで子供まで生んだ独り娘がトラックにはねられて即死、敦子さんは中風になり入院した。不幸を重ねて老後を迎えた彼女は堀田久子宣教師の世話で第一号会員として「玉蘭莊」で老後を過ごした。

二:苦悶の人生 ~ 羅梅妹さん

彼女は貧困家庭に生まれ、父母と共に苦難多き幼年時代を過ごした。
高等科を卒業後に逓信部の試験に合格,電信局の交換手となった。結婚後に夫が死亡、再婚後に二男三女が生まれた。継夫の死後に女児の養育の為に家を売ることにしたが、悪い業者に騙され高利貸から借金するに至り、名義の問題で法院に訴えられ、その家を競売にかけられた。濟南教會の許長老の好意で彼の家に暫時住み、後にオーストラリアへ移住して夫亡き長女の家事を助け孫娘の世話をした。そのような状況の中、夜は大学で日語を学び、修士号を取得。その後台湾に戻り、交通事故で植物人になった親友を助け、玉蘭莊の訪問ケア組に参加した。梅妹さんは苦しい環境で子女を育て、それぞれに高等教育を受けさせた。彼女は学に勤しみ、熱心なクリスチャンで、植物人間になった友人に報いる友情は今時の女性の鑑である。

三:戦乱逃避行 ~ 袁呂敏さん

太平洋戰爭末期に呂敏姉妹(日本人)は日本軍官の父と満州に渡った。間もなく父は軍の命令で東京に戻された。ロシア軍は満州に攻め入り、彼女は日本難民と戦乱を避けるに逃亡を続けた、途中に中国空軍の一少尉の世話に因って夫婦の縁を結んだ。男の子を産んで三日目、幌なしの列車に乗って逃亡の旅を続けた。

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