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さる六月四日に玉蘭荘を訪問された、きのくに国際高等専修学校の生徒さんから、玉蘭荘のみなさんへお便りが届きました。交流会での楽しいお交わりは、生徒さんたちにとっても、また玉蘭荘の会員さんたちにとっても、有意義でよい経験となったようですね。

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高千穂丸の撃沈 (下) --113号

-台湾医学生帰郷途上の遭難-     郭維租


鉄の扉ついに開かれて

 昭和十八年一月十日頃、陰欝な毎日が続いていたが、この日は太陽が久しぶりに顔を出し、春のような日和で、しかも午後一課目が休講。同じ台湾から来ていた級友の林秋江君と共に、千葉の裁判所に勤めている法科の陳茂源先輩を訪問した。少し前に東京帝大関係の台湾人の同窓会で初めて陳先生に会ったが、むやみに酒を勧める事もせず、言葉は少ないが内容があり、何時か訪問してゆっくり話を聞きたいと思っていた。

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心の故里    高俊明牧師 --113号

玉蘭荘に寄せて頂いてから十数年。神様が小さな玉蘭荘を今日のように、大きく育てて下さいました事、ほんとに感謝です。

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高千穂丸の撃沈 (上) --112号

-台湾医学生帰郷途上の遭難-     郭維租


東シナ海の魚雷攻撃

 昭和十八年三月中旬、私は数人の学友と共に、春休みで東京から台北へ帰郷の途についた。十六日、神戸出航の客船「高千穂丸」に乗って、風光明媚な瀬戸内海を通っていると、大戦中だという事が嘘のように思えた。

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小学生の頃、私は人前で話すことが苦手でした。絵画と工作は得意でしたが、音楽と体操の成績がとても悪く、十点満点で五点しか取れませんでした。勿論、人前で歌を歌うのも大変苦手でした。

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「母」  陳慧如 --112号

 一、メソジスト派を初めた人といわれるジョン・ウェスレーの母スナザンは「祈りの人」であった。ウェスレーはその母スザンナについて語る時には、いつも「私が妻を迎えるときは母のような人を選びたい」といった。このスザンナについて、イギリスの有名な作家アイザック・テーラーは「スザンナは実に宗教的また道徳的の意味に於いて、メソジスト派の母と言うべき人であった。その勇気と言い、その高尚な主義といい、その自立制の精神と言い、その温かな感情といい、みな、悉くその子の品格と行為に反映していた」ということである。

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春のピクニック 陳美菁 --111号

今回のピクニックは今までに比べると随分遠出になりましたので、飛牛牧場に着いた時点でもうお昼近くになっていました。そうなると、次のイベントは勿論昼食、お天気も良かったせいか会員の皆さんも食欲旺盛、ランチタイムを楽しみました。

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私の半生記  呂克明--111号

試験を受けて、台北二中に転入しました。台北では親戚の家に下宿をしたのですが、遊んでばかりで勉強がおそろかになり、高等部への昇級試験に落ちてしまいました。それで、当時郷里の八徳郷で唯一のキリスト教徒だった劉長寿さんの薦めで、淡江中学に入学しました。淡江中学はミッションスクールで、そこで私はキリスト教と出合ったのです。

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