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映画と私/林孟毅

私が初めて映画に接触したのは、約八十年前の、七歳か八歳の頃ではなかったかと記憶しています。当時自宅は、今の台中市太平区にあって、ある日近くの広場で夜、映画の上映があるという事を聞き、好奇心に駆られて見に行きました。当時映画は、活動写真と言われてトーキーではなく無声で、スクリーンの傍らに弁士が立って、日本語に台湾語を交えて、イントネーションを付けて解説していました。ちょっと滑稽な感じがしたが、終わりは確か、薬のコマーシャルと覚えています。映画の内容はよくわからなかったが、面白いものがあるな、と感心しました。

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私が玉蘭荘を知ったのは、日本人会会報誌「さんご」での広告でした。お恥ずかしい話ですが、私は台湾で生活を始めるまで、日本が台湾を統治していた時代があった事さえ知りませんでした。統治時代の建物を見たり、話を聞いたりするうちに、日本語教育を受けた世代の方々にとても興味が湧きました。そんな矢先に出会ったのです。

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穿越新門/國際日語教會 牧師 臼杵翠

每年的三、四月,有蠻多從台灣去日本賞櫻花的旅客。欣賞櫻花盛開的樂趣,及對日本有特殊的感情的旅客,不僅是陶醉在櫻花的美,還會感嘆新年的到來 。回想去年和誰在哪裡賞過櫻花,今年是又是和誰...,美好的回憶一遍一遍反芻,心裡充滿著感恩。

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懷念陳慧如牧師/林月桂牧師

「陳女士已經回天家了。他走完了豐盛的人生,安息了。讓我們還在人世的,要盡本分地活下去吧。」 傳給我這信息的是我的同班同學,也是與陳女士於一九六○春天,一起考進東京神學大學,三年間同住在女生宿舍的台灣留學生。

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憶江水和先生/重金優子

大約二十年前,我剛來玉蘭莊,那時的水和先生還只有七十歲左右,在玉蘭莊會員中,算是最年輕的了。當然,他的步伐輕快,常常在活動日,為走路不方便的年長會員倒茶,或為因玉蘭莊便當份量較多吃不了的會員,代步買外面的便餐,他那熱誠為人服務的模樣,常常讓我無意間看到。也許男性的會員較少的關係,被水和先生服務的大姐們,都將他視為玉蘭莊的小老弟叫他,疼他。每次聽到「小老弟,拜託一下...」水和先生立即起立,很快速地走出教室。

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義工專欄-幸運的禮物/楊宥玲

來玉蘭莊做志工活動,大約三年了,也經歷了二次年度義賣會。一開始總是緊張的,還好有玉蘭莊的每位伙伴的互相幫忙。在這裡,看到長輩們專心上課和禮拜,有意思的課題時,我也旁聽了起來!聽到大家的談笑與歡笑聲,心情也愉快了起來!這樣自然的日常點滴,或許就是一種變快樂的調節劑沒錯吧。

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三月、四月は、台湾からも日本の桜を見に行く旅行者が多いようです。

満開の桜を眺める喜びは、日本では特別の感慨があります。美しさに酔うだけでなく、ああ一年を迎えられた、昨年は誰とどこの桜を見た、今年は...と年月を数えたり、思い出を巡らせたり、その恵みに感謝します。

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陳慧如牧師を偲ぶ/牧師 林月桂

邂逅 :「陳さんが帰天されたのです。長い豊かな人生を終えて、安らかな休息に入られたのです。私たちも生かされている間、精一杯『自分らしく』生きて行きましょう!」

私のクラスメイトで、陳先生と同じく一九六〇年春、東京神学大学に入学し、三年間陳さんといっしょに女子寮で学んだ方からの便りです。

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