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我來到台灣台北,到今年春天正好一年半了。

想在陌生的街道上走一走,想用自己的眼睛看一看,想親自接觸交流看看...充滿好奇心的我,想說就算語言不通也沒關係,反正船到橋頭自然直。抱著這樣的心情,我隨著丈夫的工作來到了台北。

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「大家好!」「您好!」只要一打招呼,對方就會很大聲、很有精神地回應。這裡是哪裡?這些人是誰呢?沒錯,就是「玉蘭莊」的各位會員。我們每年都會造訪一次,由玉蘭莊的會員們和椰子之實合唱團的團員們,一起歡唱一個小時的時間。這項活動是從什麼時候、從幾年前開始的呢?我其實已經不記得了。不過從去年開始,變成以兩個月一次的頻率來進行。一開始的時候,我以為只有椰子之實合唱團的團員們表演而已,結果因為有很多歌曲玉蘭莊的會員們都曉得,而且也都會唱,所以就大家一起唱。唱完之後,感覺好開心、心情好舒暢,一個小時的時間好像一轉眼就過去了。椰子之實合唱團的團員們在唱的時候也是看起來很開心很放鬆。唱完之後我問大家:「為什麼大家今天看起來好像比平常唱得還要開心還要放鬆呢?」團員們異口同聲地回答說:「因為玉蘭莊的會員們跟我們一起唱,感覺很開心,所以才能放鬆。」之後,每次的造訪都變得很輕鬆沒有負擔。

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三十一年前的某一天,我接到當時「日本基督海外醫療協會」(略稱:JOCS) 派遣駐台的堀田久子 (Horita Hisako) 宣教師的電話,她邀我一道前往在內湖的一所安養中心,探望先慈的摯友K姊妹。先慈於先父歸天之後,獨自一人在台南生活的時候,堀田宣教師每個月一次,搭當天來回十小時的火車,前往台南,專程探望先慈,先慈得到莫大的激勵。我夙來感念堀田宣教師的恩情,所以,我立即偕內人陪同堀田宣教師前往內湖。那是在捷運文湖線大湖站附近的四樓公寓的一樓。當我們踏進安養中心的瞬間,撲鼻的惡臭迎面而來。可能是經費不足,失禁的長者未穿著尿布,任由糞尿排放所致,說是人間煉獄也不為過。

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「皆さん!今日は!」
「今日ワッ!」
大きな、元気な声が返ってきます。「玉蘭荘さん」の皆さんです。一年に一度訪問して玉蘭荘さんと椰子の実コーラスと一時間楽しく歌います。いつから、何年前から始まったのでしょうか、私は忘れてしまいました。去年からは二か月に一度のわりで行われています。

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私は台湾・台北市に来て、この春でちょうど一年半になります。

知らない街を歩いてみたい、自分の目で見てみたい、触れてみたい。夫の仕事で台北に来ましたが、好奇心のある私は、言葉の不自由はなんとかなる~そんな思いでいました。

知り合いもいない、会社関係の繋がりも何もない環境の中、「特に女性は、しゃべらないと『うつ』になる」そんな教訓もあり、日中は、観光地へ市場へ...とよく出かけました。見るもの聞くもの、何もかもが新鮮で、日本の友人たちにメールなどしていました。真夏になると、サングラスに短パンで歩く人々を見かけては、まねて、スリッパでも買い物に出かけたりするようにもなりました。(笑)

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だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
〈コリント信徒への手紙(ニ)五:十七〉

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義工專欄-一期一會/ 井口 真紀

我很喜歡「一期一會」這句話。

生長在北海道悠閒鄉下的我,很幸運地在二十多歲的時候,有機會以護理師的身份到南美巴拉圭的日裔移民地去工作。然後,在那裡認識了當時以青年海外協力隊員的身份參加活動的現在的丈夫。從那時到現在,大約三十年的期間,透過育兒、工作、義工活動等等,認識了很多很多人,跟他們彼此交流。我深深地感覺到,是這些經驗讓我的生命有所成長的。

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親切的日本外交官/友愛會代表 張 文芳

二〇〇二年五月八日,在瀋陽的日本領事館所發生的「瀋陽事件」中,報導了各界不同的反應,其中幾乎大多數都是批評外交官應對之道的負面看法。

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