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玉蘭荘との出会い/黃 哲彥 牧師

蔡仁理牧師から突然お電話をいだたいたのは、六、七年前のある日のことでした。蔡牧師は私と同じ台東の出身で、彼の親戚は何人も台東の教会の集会に参加されていましたし、その中の一人は私の中学時代の同級生でもありした。そんなご縁のある方からのお電話でしたので、とても嬉しく思いました。驚いたことに、その時彼は玉蘭荘の理事長を務めていて、私に玉蘭荘を紹介したいとおっしゃったのです。残念ながらその時は、それ以上の進展はなかったのですが、その時私は初めて「玉蘭荘」という名前を知ったのでした。

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與玉蘭莊的相遇/黃哲彥 牧師

記得六、七年前的某一天,突然接到蔡仁理牧師的電話。這通電話讓我驚訝也倍感親切。親切是因為我們都是台東人,他的親戚中有好幾位在台東教會聚會,甚至有一位是我國中的同學。驚訝的是,他提起了他是玉蘭莊的理事長,想介紹我認識玉蘭莊。當時,因為某些因素,就止於與蔡仁理牧師的一通電話。而我也是第一次聽到「玉蘭莊」這個名字。

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イスラエルの教育/陳昭華

ユダヤ民族は非常に長い間迫害を受け続けてきたという歴史を持っています。しかし各地で隠れるようにして生き延びてきた民族でありながら、世界中のあらゆる分野で大きな貢献を果たしています。現在世界中のユダヤ人人口は約一八〇〇万人、これは総人口の〇.三%にも満たない数ですが、一九〇一年以来、実にノーベル賞受賞者の二十三%がユダヤ人なのです(部門別では、経済学賞三十七%、物理学賞二十六%、医学賞二十五%、化学賞二十%、文学賞十三%、平和賞九%)。一九四八年の建国以来、イスラエルにも十名のノーベル賞受賞者がいます。彼らがこれほど多くの優秀な人材を育ててきた背景には、他とは違った教育方法があるのです。中でも宗教教育はイスラエル人の宗教信仰を伝承する重要なもので、一番特徴的なものですが、それについての研究文献は沢山ありますので、ここではそれ以外の教育について紹介したいと思います。

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談以色列的教育/陳昭華

猶太民族的歷史中有很長的時間是在沒有家園、流離失所,遭受迫害的情況下渡過的,是一個長期在狹縫中求生存的民族,但他們卻為世界做出了極大的貢獻。目前全世界猶太人的數量大約只有一八〇〇萬人,占世界總人口不到〇.三%,但自諾貝爾獎一九〇一年首次頒發以來,約有二十三%的得獎人都是猶太裔。其中經濟占三十七%、物理二十六%、醫學二十五%、化學二〇%、文學十三%及和平獎九%。就是一九四八年建國以來的以色列亦有十位諾貝爾獎得主。為何他們能培養出這麼多精英人才?與眾不同的教育方式扮演著關鍵性的因素。其中宗教教育傳承以色列人宗教信仰,是凝聚以色列人的重要因素,也是使以色列人與其他國家迥然不同的原因之一,但因為宗教教育探討過的文章很多,因此在此不擬論述,以下僅就以色列人宗教教育以外之教育中幾個比較特殊之處加以探討之。

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私が初めて訪台したのは、一九八七年の八月で、小学校の夏休みの時でした。当時の台湾は今のように日本人にとって身近な国ではなく、どこにあるのか、そして台湾という名称自体知らない人も多く、そして渡航の目的が短期の観光であってもビザが必要でした。私が台湾を知ったきっかけが、当時日本の子供たちの間で流行していた映画『幽幻道士』だったのですが、ちょうどその頃父が仕事の関係で頻繁に台湾に行っていたこともあり、仕事のついでに一緒に連れて行ってもらうことになったのです。父としては、世界には日本とは異なる国があり、子供の時から視野を広げて欲しいという思いで台湾に連れて行ったようでしたが、初めて見る日本とは全く違う景色と文化に衝撃を受け、その後小学六年生の時にアメリカへホームステイにも行かせてもらったのにもかかわらず、私が最終的に留学先に選んだのは台湾でした。

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義工專欄—我與台灣/齊藤加穂

我初次造訪台灣,是在一九八七年八月,唸小學時的某個暑假。當時的台灣對日本人來說,不像現在如此親近的國家,很多人不知道台灣在哪裡,甚至連台灣的名字都沒聽過。而且,就算入境的目的是短期觀光,也還是需要簽證。我之所以知道台灣的契機,是因為當時日本的小朋友之間有一部很流行的電影,叫做「幽幻道士」,而剛好那個時期,父親因為工作的關係,經常前往台灣。於是趁工作之便,順便帶我一起去。對父親來說,世界上有很多跟日本不一樣的國家,他希望我的視野能夠從小就被擴張,因此才會想帶我去台灣。而我,確實也因著這第一次所看到的異於日本的景色與文化而受到衝擊,所以儘管後來小學六年級時,父母讓我去體驗美國生活,並且住在寄宿家庭,但最後我考慮留學地點的時候,還是選擇了台灣。

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友好関係が祝福をもたらす/理事長 黃春生

この度、第一〇期の理事長に就任致しましたこと、非常に光栄に思ってお ります。これは主の呼びかけであると考えています。三十数年前、「日本キリ スト教海外医療協力会」(JOCS)より台湾に派遣された宣教師堀田久子先生は、 戦争中台湾に嫁いできた日本の婦人たちが子供の成人後、言葉の壁ために台湾 社会との接触が少なく、孤独な生活をしているのを知り、彼女たちのため、信 念を持って困難を乗り越え、一九八九年に彼女たちの憩いの場所を創立しまし た。それが玉蘭荘です。三十一年後の現在、台湾も既に高齢化社会となり、政 府も高齢者の福祉に力を注ぎつつある状況です。振り返って、当時玉蘭荘の設 立はまさしく一歩進んだ考えだったと言えます。玉蘭荘を創立した信者の先輩 たちが、キリスト信仰の愛を持って、高齢者が孤独な生活から抜け出し、人と の触れ合いができる集会を築いたのは、非常に有意義な事だと思います。

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黄澤南さんを偲んで

黄澤南さんは台湾高雄出身で、若いころは漁船用具の商売をしておられた そうですが、引退後の一九九〇年にご家族と共に台北へ移住されました。そ して一九九三年六月、親友の阿玉さんのご紹介で玉蘭荘に入会されました。 当時の玉蘭荘会員の殆どが女性で、夫婦で会員になられたのは張明徳さんご 夫婦と黄澤南さんご夫婦だけでした。澤南さんが書き残された文章によると、 入会の当初玉蘭荘の創立者堀田久子宣教師は既に台湾での任期を終えて日本 に帰国されており、玉蘭荘総幹事の任務を日本キリスト教海外部(JOCS) から台湾へ派遣された大川記代子さんにバットンタッチされていました。大 川記代子総幹事は新しいメンバーの澤南さんご夫婦を熱心に受け入れてくだ さり、さまざまな活動へ導き、お二人とも愉しいひと時を満喫することが出 来ました。又、玉蘭荘のボランティアのリーダー・馬場十寸穂さんはいつも 温かい笑顔で、毎回の昼食時にはスープや果物を用意して下り、手工芸指導 の運営委員長・鄭秀珠牧師夫人も、午後の活動時間に会員たちを指導してく ださいました。このように澤南さんご夫婦は、いつも仲間たちと玉蘭荘の愉 しい集いの時間を過ごされました。

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