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人生最後の一ページ/理事長 都丸正夫

私の九十三歳の母は、今年の七月十四日夜、眠りについたまま、しずかに息を引き取りました。母の多くの友達は、同じように逝きたいものだとおっしゃってました。団塊の世代の私も、いよいよ人生最後の一ページにどんなことを記していくことができるかと考え始めています。

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デッサンクラス/デッサン講師 張惠愛

会員さんたちは、私の顔を見るといつもわくわくした表情で「今日はデッサンのクラスあるの?」と聞いてきます。皆さんの表情は若々しく、生き生きとしています。

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台湾に来て一年半が過ぎました。ここに来ることになったのは、主人の仕事の関係です。主人は以前、日本国内の転勤族であったことから、私も主人も関西の出身ではありましたが、関東、新潟、広島などで暮らしたこともありました。そして今回は台湾に来ることになりました。まさかこの年齢で、海外で暮らすことになるとは夢にも思っていませんでした。主人自身も海外で勤務することには迷いもありましたし、私も日本に残る選択肢が無かった訳ではありませんでした。

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人生最後的一頁/理事長 都丸正夫

我高齡九十三歲的母親,於今年七月十四日的晚上,在睡夢中安詳地辭世了。母親的許多友人都說,自己走的時候希望也能像母親一樣的走法。「團塊世代」(戦後嬰兒潮)的我,也終於開始思考,在人生最後的一頁能夠寫下什麼內容。

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畫圖課/素描講師 張惠愛

會員見到我總是以喜悅期待的表情問,今天有畫圖課嗎?

在他們的表情上,感受到年輕的喜悅的心和活力。

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義 工 專 欄-相遇獻上感謝/N・M

我來到台灣已經一年半了。之所以會來到這裡,是因為外子工作的關係。由於外子從以前就是日本國內的「調職族」,所以雖然我跟外子都是關西地方出身的,但我們也住過關東、新潟、廣島等地。而這回,我們則是來到了台灣。實在沒想到我這把年紀,竟然還能在海外生活,真的是作夢都沒想到。外子原本對於調職海外是有些猶豫的,而我當初也不是不能選擇留在日本。

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ともにおられる主と/宣教師 松本望美

新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るい、中国やアメリカ、イタリアなどで多くの死者を出し、医療崩壊が起き、経済は大きく傾きました。日本では非常事態宣言が発令され、東京では連日百人以上の人が感染し続けました。私たちの生活が変わり仕事の仕方が変わり、すべて「自粛」ムード。予定はすべてキャンセルさせられ、当分の間は予測不可能に。「パンデミック(大規模感染)」「ロックダウン(都市封鎖)」「オーバーシュート(爆発的に増える感染者)」などカタカナ用語がニュースの中に流れ、国民の不安をあおりました。

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カレーにラーメン、お寿司にとんかつ!

えっ、何のこと?(笑)
今、台北の街を歩けばあちこちに日本のレストランがあり、おいしいコーヒーショップもあります。

スーパーマーケットに行けば日本の食材、調味料も豊富で私たち日本人が生活に困ることは何一つないと言っていいほど、現在の台湾は豊かで住みやすい国です。

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