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李登輝元総統を偲ぶ/龔昭勲

昨年(二〇二〇年)七月三十日、台湾のミスター・デモクラシーと呼ばれた李登輝元総統が主に召されました。彼が台湾の民主化を成し遂げたその功績は、我々に大きな影響を与えました。
日本の産経新聞の記者兼論説委員の河崎真澄先生が書かれた大作「李登輝秘録」の中国語版出版にあたり、光栄にも私が翻訳を担当させていただくことになりました。この「李登輝秘録」は昨年の七月三十一日、すなわち李元総統が亡くなられた翌日に出版され、瞬く間に品切れになり、重版されました。あの日私は河崎さんから頂いた本のサンプルを手に、テレビで李元総統の訃報を見ていました。彼が総統に在任した十年の間に、台湾の政治は一党独裁から民主化の道をたどりました。就任当初は保守勢力の反抗や妨害にあい、一時はクーデターも起こりかねない事態に陥ったこともありました。しかし彼は一歩一歩着実に改革を行い、国民の直接投票による総統選挙も実現させ、任期満了で退任した際も平和的な政権交代を行って世界中の注目を集めました。

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去年(2020年)7月30日,被稱為台灣「民主先生」的前總統李登輝先生蒙主恩召,離開我們辭世。
非常榮幸得到日本產經新聞資深記者兼論說委員河崎真澄先生的厚愛,得以翻譯他的大作「李登輝秘錄」,同時協助中文版的出書。日文版「李登輝秘錄」是在去年7月31日,亦即李前總統辭世的隔天出版,書籍上市立即被搶購一空,產經新聞只得加緊再刷。手上拿著作者河崎先生寄來的樣書,電視新聞正播出李前總統辭世的消息。心中浮現一幕又一幕的情景,李前總統執政12年,讓台灣的政治從專制獨裁走向民主化,就任初始即面臨保守勢力及既得利益者的阻撓與反撲,其中還面對一觸即發的軍事政變。但是,李前總統一步一步地進行改革,最後成功地完成總統直接選舉,卸任總統時讓政權和平轉移,讓台灣的政黨政權輪替成為國際間矚目的的對象。

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玉蘭荘との出会い/黃 哲彥 牧師

蔡仁理牧師から突然お電話をいだたいたのは、六、七年前のある日のことでした。蔡牧師は私と同じ台東の出身で、彼の親戚は何人も台東の教会の集会に参加されていましたし、その中の一人は私の中学時代の同級生でもありした。そんなご縁のある方からのお電話でしたので、とても嬉しく思いました。驚いたことに、その時彼は玉蘭荘の理事長を務めていて、私に玉蘭荘を紹介したいとおっしゃったのです。残念ながらその時は、それ以上の進展はなかったのですが、その時私は初めて「玉蘭荘」という名前を知ったのでした。

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與玉蘭莊的相遇/黃哲彥 牧師

記得六、七年前的某一天,突然接到蔡仁理牧師的電話。這通電話讓我驚訝也倍感親切。親切是因為我們都是台東人,他的親戚中有好幾位在台東教會聚會,甚至有一位是我國中的同學。驚訝的是,他提起了他是玉蘭莊的理事長,想介紹我認識玉蘭莊。當時,因為某些因素,就止於與蔡仁理牧師的一通電話。而我也是第一次聽到「玉蘭莊」這個名字。

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イスラエルの教育/陳昭華

ユダヤ民族は非常に長い間迫害を受け続けてきたという歴史を持っています。しかし各地で隠れるようにして生き延びてきた民族でありながら、世界中のあらゆる分野で大きな貢献を果たしています。現在世界中のユダヤ人人口は約一八〇〇万人、これは総人口の〇.三%にも満たない数ですが、一九〇一年以来、実にノーベル賞受賞者の二十三%がユダヤ人なのです(部門別では、経済学賞三十七%、物理学賞二十六%、医学賞二十五%、化学賞二十%、文学賞十三%、平和賞九%)。一九四八年の建国以来、イスラエルにも十名のノーベル賞受賞者がいます。彼らがこれほど多くの優秀な人材を育ててきた背景には、他とは違った教育方法があるのです。中でも宗教教育はイスラエル人の宗教信仰を伝承する重要なもので、一番特徴的なものですが、それについての研究文献は沢山ありますので、ここではそれ以外の教育について紹介したいと思います。

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談以色列的教育/陳昭華

猶太民族的歷史中有很長的時間是在沒有家園、流離失所,遭受迫害的情況下渡過的,是一個長期在狹縫中求生存的民族,但他們卻為世界做出了極大的貢獻。目前全世界猶太人的數量大約只有一八〇〇萬人,占世界總人口不到〇.三%,但自諾貝爾獎一九〇一年首次頒發以來,約有二十三%的得獎人都是猶太裔。其中經濟占三十七%、物理二十六%、醫學二十五%、化學二〇%、文學十三%及和平獎九%。就是一九四八年建國以來的以色列亦有十位諾貝爾獎得主。為何他們能培養出這麼多精英人才?與眾不同的教育方式扮演著關鍵性的因素。其中宗教教育傳承以色列人宗教信仰,是凝聚以色列人的重要因素,也是使以色列人與其他國家迥然不同的原因之一,但因為宗教教育探討過的文章很多,因此在此不擬論述,以下僅就以色列人宗教教育以外之教育中幾個比較特殊之處加以探討之。

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私が初めて訪台したのは、一九八七年の八月で、小学校の夏休みの時でした。当時の台湾は今のように日本人にとって身近な国ではなく、どこにあるのか、そして台湾という名称自体知らない人も多く、そして渡航の目的が短期の観光であってもビザが必要でした。私が台湾を知ったきっかけが、当時日本の子供たちの間で流行していた映画『幽幻道士』だったのですが、ちょうどその頃父が仕事の関係で頻繁に台湾に行っていたこともあり、仕事のついでに一緒に連れて行ってもらうことになったのです。父としては、世界には日本とは異なる国があり、子供の時から視野を広げて欲しいという思いで台湾に連れて行ったようでしたが、初めて見る日本とは全く違う景色と文化に衝撃を受け、その後小学六年生の時にアメリカへホームステイにも行かせてもらったのにもかかわらず、私が最終的に留学先に選んだのは台湾でした。

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義工專欄—我與台灣/齊藤加穂

我初次造訪台灣,是在一九八七年八月,唸小學時的某個暑假。當時的台灣對日本人來說,不像現在如此親近的國家,很多人不知道台灣在哪裡,甚至連台灣的名字都沒聽過。而且,就算入境的目的是短期觀光,也還是需要簽證。我之所以知道台灣的契機,是因為當時日本的小朋友之間有一部很流行的電影,叫做「幽幻道士」,而剛好那個時期,父親因為工作的關係,經常前往台灣。於是趁工作之便,順便帶我一起去。對父親來說,世界上有很多跟日本不一樣的國家,他希望我的視野能夠從小就被擴張,因此才會想帶我去台灣。而我,確實也因著這第一次所看到的異於日本的景色與文化而受到衝擊,所以儘管後來小學六年級時,父母讓我去體驗美國生活,並且住在寄宿家庭,但最後我考慮留學地點的時候,還是選擇了台灣。

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